10歳の頃、あるいはワールドワイドかもしれない話

プロフィール

今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけでまずはルールのおさらい↓

今回のテーマは「10歳の頃」。
早速今回も書き進めていきたいと思います。

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アメリカ帰りの転校生

『この飛行機は、ただいまからおよそ20分で成田空港に着陸する予定でございます。』

幼稚園の卒園式を待たずに父の仕事の都合で海を渡り、帰って来たのは10歳になったばかりの夏。

上記のような機内アナウンスをどんな気持ちで聞いていたのか、今となってはあまり思い出せません。

ランドセルをねだる

アメリカの一学年は、9月始まりの6月終わり。

私が日本の小学校に転入したのは、小学校4年生の2学期から。

ということは実質2年半くらいしか小学校生活は残っていないわけです。

で、私が通っていた学校では、4年生くらいからランドセルでの通学は必須ではなかったし、

そのくらいの歳になると許されるなら普通のリュックなどで通いたいという子も多かったので、

両親も手頃なリュックタイプのスクールバッグを用意するつもりだったようです。

ランドセル、結構いいお値段しますからね。

それでも、赤く四角くて硬い、あのランドセルへの憧れを我慢できなかった私は、交渉の末、買ってもらうことに成功。

のちのち、やっぱり普通のバッグでも良かったのでは?と思わないことが全くなかったかというとゼロではないですが、

最終的にはやっぱり買ってもらって良かったなぁ、と思います。

小学生らしくていいですよね、ランドセル。

こうしたランドセルの件も含めて、らしさ、とか、普通は、といったことに密かにしろ潜んでいないにしろ、憧れのような感情があったように思います。

10歳よりもう少し後のことですが、

「藤代さんの話す日本語って、翻訳したみたいな感じだよね」

と言われたことがありまして。

今にして思えば、かっちりしているとか綺麗だとか、もしかしたらそんな意味合いが含まれていたのかなとも思うのですが、言われた当時は結構ショックだったんですよね。

自然ではない、と言われている気がして。

そこから、崩した表現を使うようになったり、いわゆるスラングだとか流行り言葉を使うようになったり、意図的にそうした部分があったように思います。

幼稚園2回、小学校3回と転校して来たこと、数年外国で過ごしていた、といった自分自身の背景がある中で、なんとなくいつも、よそ者であったり、根無し草的な感覚が自分の中であって、

はみ出したり、飛び出ている杭ではなくて、そのコミュニティの中で平均的な存在になりたい、普通でありたい、といった意識が、心の底にずっとあったんじゃないかと。

もしかしたらそうした思想が具現化したひとつの例が、ランドセルだったのかもしれません。

「なんか面白いこと言って」

突然ですが、主に大阪方面出身の方で、関東など別の地域に住んでいると、このようなことを言われた経験がある人もいらっしゃるのではないでしょうか。

で、アメリカに住んでいた経験があるという話題になると、これの「英語喋って」バージョンをよく言われて来たのですが。

正直困りますよね。

なんかってなんだ!?

という話です。

これがたとえば英語で書かれた教科書だとか書類などの類が用意されていて、それを読んで欲しいということであれば、

まだご期待に添えるんだと思うのです。おそらく、発音的な部分に期待されてこうした文言を言われて来たのだと思っているので。

とはいえ、上記のような背景と流れを理解してうまく対応することを学ぶには10歳では早すぎたようで、

「せめて何か用意してから言って!」

と言い返せるようになるまで、しばらくかかったような気がします。

雑巾が上手にしぼれない子ども

私がそれまで通っていたアメリカの現地の学校では、清掃は専用の職員さんの仕事でした。

どちらがいいとか悪いとかではなく、ただ、そうした仕事も立派な雇用の機会だったということなのだろうと思うのですが、

とにかく、日本の小学校と違って、自分で教室などを掃除する機会がなかったんですね。

なので、雑巾を濡らしてしぼる、雑巾がけをするという一連の掃除の手順も、帰国して初めて経験した事がらでした。

慣れてしまえばなんともないことなんですが、意外と最初は手間取ったなぁ、と今振り返ってみると印象的で、よく覚えています。

日本に帰って来て、カルチャーショックのようなものはあったか?と聞かれることが何度かありましたが、

自分の中で最も印象深いエピソードとして、この掃除について話すことが多いです。

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趣味趣向、流行りものなど

さて、ここからは10歳の当時に流行ったりハマったりしたものについて書いていきたいと思います。

ポケットモンスター

10歳の当時に流行ったもの、として最もよく覚えているのがポケモンです。

私も欲しい!となってお正月にもらったお年玉で妹と一緒に買った初めてのゲームがこのポケモンでした。

私は緑を、妹は赤を、そして2人で通信ケーブルを折半で買いました。

初代のシリーズで、ゲームボーイもまだ白黒。ようやっとゲームボーイポケットが出た時期でもありました。

ポケモンシリーズに関しては、のちに発売されたポケットモンスターピカチュウ版まではプレイして、その後はポケモンGOが流行るまでしばらく離れていました。

なので、ポケモンは151匹までしか認識できていません。

KinKi KidsのCDデビュー

渡米中も機会があって銀狼怪奇ファイルや金田一少年の事件簿などのドラマを観ていた関係で、

CDデビュー前からKinKi Kidsのお二人が好きでして。

なので、満を持してCDデビューとなった時は、『A album』を買ってもらいました。

よくKinKi Kidsが好きというとどっち派か、みたいな話題になるのですが、私はどちらかといえば剛さん派。

歌声が好きなんですよね。

後年、堂本剛さんのソロプロジェクトのひとつであるENDLICHERI☆ENDLICHERI(エンドリケリー・エンドリケリー)のライブにも行ったりしました。

そういえば、『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』の映画が公開されたのもこの年でしたね。

もののけ姫

スタジオジブリの数ある名作の一つ、もののけ姫が公開されたのもこの年でした。

「生きろ、そなたは美しい」
「サンは森でわたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう」

といった名ゼリフも印象的でした。

私はスタジオジブリの作品としては『天空の城ラピュタ』が一番好きなのですが、ヒーローポジションではアシタカが一番好きです。

カッコいいよね、アシタカ。

学校の怪談シリーズ

田舎の学校で起こる怪奇現象というか、学校を舞台にした怪談話を題材とした、ホラー要素もありつつファンタジー的な要素もある作品シリーズ。

その3作目が公開されたのがこの年でした。

物語の舞台は槙町小学校。20年前に亡くなったタイチとという生徒が亡霊となって棲んでいる鏡が校内のどこかにあって、

運動会の二人三脚で転んでしまった生徒は目をつけられ、その日の放課後にその鏡の中に引きずり込まれてしまう、という噂がある場所でした。

運動会が開催された日の放課後、5年2組の担任である八橋先生が図工室でその噂の鏡を見つけ、この鏡を一目見たいと残っていた4人の生徒や先生、保護者などの関係者計7人が鏡の中のすべてが反転した世界に引き摺り込まれます。

そして、花子さんやテケテケ、人面犬を始めとした数々の妖怪たちや亡霊となったタイチが暴れまわるこの鏡の中の世界から無事に脱出したところで、物語は締めくくられます。

今観たらどんな感想を抱くのだろうとも思うのですが、当時はこのシリーズが好きでしたね。

ホラーに対して抵抗がない方は、機会があったらぜひ観てみてください。

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10歳の頃、まとめ

というわけで、10歳の頃のことを振り返りつつ書いてみました。

めちゃくちゃ年齢がバレる内容も含まれているので恥ずかしくもあるんですが、たまにはこういうお題もいいですね。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)