映画『真夜中の弥次さん喜多さん』 ジャンル分け不能なロードムービー体験

映画

映画を観終わったあと、「これは一体なんだったんだろう……?」と首をかしげつつ、なぜか嫌いになれない作品ってありませんか。

『真夜中の弥次さん喜多さん』は、まさにそんな一本です。

クドカンこと宮藤官九郎氏の名前を聞いただけで身構える人もいれば、逆にワクワクする人もいると思いますが、この映画はそのどちらの期待も、いい意味で軽々と飛び越えてきます。

時代劇っぽいのに現代的で、ふざけているようでどこか情緒的。ジャンル分けしようとすると、ちょっと困る。

今回は、そんな掴みどころのない『真夜中の弥次さん喜多さん』について紹介していきたいと思います。

映画『真夜中の弥次さん喜多さん』概要

映画『真夜中の弥次さん喜多さん』はしりあがり寿氏による同名漫画を原作とし、宮藤官九郎氏が監督・脚本を務めた2005年公開の日本の映画。

あらすじは以下の通り。

商家の若旦那でしっかり者の弥次さんとヤク中の旅役者、喜多さんはディープに愛し合う恋人同士。しかし、極度の薬物依存でどん底まで落ちてしまった喜多さんは“リアルが分からない”と弥次さんに不安を訴える。折しも長屋にはお伊勢さんからのダイレクトメールが。そこで弥次さんは喜多さんのヤク中を治すため、そしてリアルを探すため、お伊勢参りへと旅立つことに。日本橋をあとにし、お伊勢さん目指して東海道を一路西へと進む弥次さんと喜多さん。そんな2人が最初にやって来たのは箱根の関所“笑の宿”。笑いが一番の当地では、なんと笑いのセンスがないと関所も通れないという。仕方なく弥次さんと喜多さんもネタ合わせを始めるが…。スタートから波乱の予感いっぱいの2人旅。やがてそれは、伊勢が近づくほどに、リアルと幻覚、生と死が入り乱れ、ますます混沌の度を深めていく…。
真夜中の弥次さん喜多さん(2005) – allcinema

[sponsered link]


映画『真夜中の弥次さん喜多さん』のレビュー・感想

『真夜中の弥次さん喜多さん』は、ひとことで言うと「何を観せられているのかわからないのに、なぜか最後まで観てしまう映画」です、これは誉め言葉です。

クドカン(宮藤官九郎)の世界観が全力で暴走していて、時代劇なのにロックだし、ロードムービーなのに紙芝居みたいだし、真面目に筋を追おうとすると置いていかれる。でも、置いていかれても別に困らない。

不思議と「まあ、そういうもんか」と受け入れてしまう懐の深さがあるんですよね。

長瀬智也と中村七之助の弥次喜多コンビがとにかく楽しそうで、その空気感だけで映画が成立している感じもあります。

掛け合いはゆるくてくだらないのに、どこか切実で、笑っていいのか少し迷う瞬間もある。

その“笑いと哀しさの境目”が、いかにもクドカン作品だなあと感じました。

映像も演出もやりたい放題で、CGも舞台装置も「リアルに見せる気ある?」と言いたくなるくらいチープ。

でもそれが逆に効いていて、現実と妄想、過去と現在、生と死の境界がぐにゃっと溶けていく感じがクセになります。

真面目に整った映像美を期待すると面食らうけど、これはもう“様式美”として楽しむのが正解。

あと、この映画、ふざけているようでいて、実はかなり情緒的です。

バカなことをやり続けているのに、ふとした瞬間に寂しさや執着、後悔みたいなものが顔を出す。

その温度差に、うっかり胸を掴まれるんですよね。

正直、万人におすすめできるタイプの映画ではありません。「意味わからない」「置いてきぼり感がすごい」と感じる人も多いと思います。

でも、クドカン作品が好きな人、ナンセンスと情緒が同居してる作品が刺さる人には、かなり忘れがたい一本になるはず。

木更津キャッツアイシリーズが好きな人にはかなり親和性が高いと思います。

観終わったあとに残るのは、理解した満足感じゃなくて、「なんだったんだろう、あれ……」という妙な余韻。

でも、その余韻こそが、この映画のいちばんの魅力なのかもしれません。

[sponsered link]


映画『真夜中の弥次さん喜多さん』まとめ

というわけで、映画『真夜中の弥次さん喜多さん』を紹介してきました。

ちなみに映画『真夜中の弥次さん喜多さん』ですが、Amazonプライム会員はプライム・ビデオでレンタルですが鑑賞することができます。

よかったらぜひこの機会に観てみてください。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akarifujishiro)