今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけで、お題と企画のルールについてはこちらから↓
【宣伝】
「ルールが綺麗にまとめられてる!」
「すごいでしょ?」
「え?主催者が作ったの?」
「そんなわけ無いじゃない。ねこまにあさん、素敵な人よ」
「やっぱり。あいつがこんな事やるわけないか」
「もう、助けられっぱなし」#3000文字チャレンジ は皆様のおかげで成り立っております。 pic.twitter.com/p6QzrnGSgx
— 3000文字チャレンジ公式アカウント (@challenge_3000) April 11, 2019
今回のお題は「ゴール」。
それでは早速どうぞ。
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3000文字チャレンジ1周年ということで、おめでとうございます!
今回のテーマは「ゴール」ということで何を書こうか考えていたんですが、
パッと思いついたのが、人生のゴール、それから、「ゴールイン」なんて言われたりもする結婚について、だったので、
それらの話題について書いてみようかと思います。
1周年というおめでたい場にあまり明るくない話題が続きますが、その辺りは大目に見ていただけると幸いです。
人生は死ぬまでの暇つぶし
「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉をどこかで目に耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。
これは漫画家のみうらじゅんさんが最初に言った言葉なのだそうです。
「人生は死ぬまでの暇つぶし。人は生れ落ちた時、余生が始まる、その余生を有意義にするのがマイブームである」
皆さんは余生をどのように過ごされていますでしょうか。その日々は有意義な、充実したものでしょうか。
私自身は最近になってやっと余生感が出てきたように思います。
別にセミリタイアしたとかそういうわけではないのですが、
新卒で勤務時間的にブラックな会社に勤め、2社目は精神的な理由で体調を崩して休職と退職、という20代を過ごしてきまして。
結局のところ正社員続投の道からは外れることに決めた今の方が、労働時間・日数的には伸びているような気もしますが、
楽しい予定を曜日関係なく詰めて、代わりにそれ以外の日は働くという、とてもメリハリのついた生活が出来るようになったことで、精神的にだいぶ余裕ができてきたのがその理由です。
もちろん、正社員の道を外れたことで違う面で憂慮すべき点はまだまだあるので、会社員を辞めよう!と他の人に勧める気は全くありません。
たまたま自分が、正社員ではないことで発生する杞憂よりも、その他の精神面での安寧を求めた結果に過ぎないからです。
そうしないと、自分はもう耐えられそうにない、これ以上心理的に自分に負荷をかけ続けることはできないな、と判断したからです。
それは、長らく自分が「自分の声」に応えない日々を続けたことが原因であるとも感じています。
私は10代の頃からずっと、いつ人生のゴールテープを切ってもいいな、と思いながら生きてきました。
けして「我が人生に一片の悔いなし!」といつでもいえる状態で生きてきたもんね!といったプラスの意味ではなく。
ある日スッとなんの痕跡も残さずに消えられないものだろうか、といったような、行きすぎれば希死念慮(きしねんりょ)と呼ばれるものに近いのかもしれません。
特別に、事件的なレベルで不幸があったとかそういうわけでもないんですけどね。
特に20歳の頃が1番状態がひどく、この頃のことを思い返すと、いつ自分でゴールテープを用意して切ってしまいかねないかわからない状況だったな、と。
だからというのもありますが、この3000文字チャレンジも機会があれば過去のお題を書こうかなとは思っているんですが、
「20歳の頃」というお題についてだけはもしかしたら永久欠番になるかなぁ、なんて考えています。
そして、おそらく当時受けた方が良かったのであろう治療などを、様々な事情で一切受けてこなかったことが、
「自分の声に応えてこない」ことの積み重ね、後年というか今になって、「もうこれ以上自分に心理的負荷をかけ続けることはできないな」という状況の原因の一端ともなっているのかと感じておりますが。
それでも、遅きに失したのかもしれないけれど、今になってしまったけれど、立ち止まる時間を作ってよかったな、なんて感じています。
現在も特に長生きして大往生なんて願望はないんですが、
それでも、何年先になるかわからないけれど人生のゴールテープを切るときに、
若き日の私が自発的にそうしなかったことをよかったと思えるような、
そんな「余生」をこれから過ごして行けたらと感じています。
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結婚について思うこと
これを読んでいるあなたは結婚していますか?それとも独身でしょうか?
独身の方は、結婚願望はありますか?
振り返ってみれば、私自身に結婚願望があったかと言われると、どちらかというと「否」というのが正解なように思います。
30歳という年齢が見えてきた26歳頃の私は確かに焦っていました。
新卒で働いていた会社が労働時間的にブラックということもあり、自分自身が身を置いている現状に当時納得が行っていなかったというのもありますし、
25歳を超えたあたりから周りの結婚ラッシュが始まったというのも大きかったですね。
なんとなく焦るんですよね、自分のその流れに乗ったほうがいい、というか、乗ることが幸せにつながるんじゃないか、みたいな感じで。
けれど、26歳、2社目への転職が成功して、労働時間としては減り、新しい職場にも慣れてひと段落ついた時にふと気づいたのです。
今いる場所から連れ出してくれること。そしてそのことで、自分が幸せになれるということ。
それを結婚に求めていたんだな、ということに。
で、いざ自分で、転職という形で自分を不満のある場所から連れ出してみたら、スッとその願望が消えて。
「私、結婚に魔法を求めていたんだな」
転職もして、一人暮らしも始めて、
「おひとりさま充」
に磨きをかけて行ったら、まぁ結婚しないという選択肢もアリだな、と思えてきたんですよね。
なんなら元々長生き願望がないので、たとえば両親を見送ったくらいのタイミングとかで、
「もういいかな、ってなったら、お金貯めてみんなで最後に観光なんかしたりして、それで安楽死の許された国で最期を迎えるのもアリかもね」
なんていう話を冗談半分本気半分くらいでしていたくらいでして。
で、よく
「結婚したい、彼氏が欲しいって思わなくなったら急に相手が現れる」
という文言を耳にすること、あると思うんですが。
気づいたら自分がその事例の真っ只中におりました。自分でも驚いています。
しかもその相手というのが、知り合ってからすでに10年以上経過している人。
人生の1番どん底にいた20歳の頃にも、よく話を聞いてもらったりご飯に連れ出してもらったりといった、そんな間柄の人でもあります。
実は私はよく、良くも悪くもポーカーフェイスと言われるタイプでして。
言い換えれば、顔に心の機微が出にくいらしいのです。
2社目への転職はあまり成功したと言えず、実に数年の間、どう正社員から降りるか(正社員からの職種変更が許される場所だったので)、あるいは休むか辞めるかということを考えていたのですがそれは一切表に出ていなかったと上司に言われ、
付き合いの長い友人にも、嬉しかったり楽しかったりするんだろうけどそうした興奮のようなものが表に出ないね、と言われ、
母にも、本番に強いタイプ・誰にも相談せずに大事なことも全部1人で決めてしまうなんて言われ続けてきました。
そういえば、そんな中にあっても怒ったり泣いたり情緒不安定であったり、そんな姿をさらけ出せる数少ない人であったなぁと。
ああ、こういう人とずっと過ごしていけるといいんだろうなぁ、と。
そりゃあ恋に恋した、結婚に魔法を求めるような状態では、自分が本当に合う人ととは「出逢えない」んだなぁと、今そんなふうに感じています。
(自分に本当に合う人に気づけない、という意味も含めて)
まぁまだ具体的な話が進んでいるわけではないので、もしかしたら別れるなんてこともあるかもしれませんが
(ないと信じたいところですが)
人生のゴールテープのありかを天命に委ねてみてもいいかもしれない、と思う一つのきっかけにはなったので、
これからも大事にしたいな、と、そんなふうに感じている次第です。
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終わりに
今回はいつになく取り止めのない話が続きました。
前から感じていたことなのですが、やっぱり自分は対外に向けて自身のことを語る(表情・仕草・言葉、全部ひっくるめて)ことがあまり得意ではないようです。
それは治さなければならない、治したほうがいい性質だ、と思っているわけでもないですが、
喜怒哀楽のせめて「喜」と「楽」くらいはもう少し上手く表せたらなぁと感じてはいるので、
その練習の場のひとつとして、これからもブログを続けていきたいな、なんて思っています。
この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)