24/7〜自分であること、そんな自分を休みたい時についての考察〜

企画

今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけでまずはルールのおさらい↓

今回のテーマは「7」。
いつもはいくつかのキーワード・見出しを用意してショート×ショート形式で書いているのですが、

気づいたら1テーマ3000文字で「創作アイデアメモを垂れ流し」形式?のものに仕上がっていました。

いつか創作系もやってみたいなぁとこれまで何度か言ってきましたが、残念ながら完全創作までには至らず。

次にまたどこかの機械でチャレンジしてみたいと思います。

それでは、本編どうぞ!

[sponsered link]


突然ですがあなたは「24/7」という表記を見たことがありますか?

分子の数が分母の数と同じor大きい仮分数ではなく、

西洋をはじめとした特定の地域での「7月24日」の記述法を表しているわけでもなく、

この数字の読み方は「twenty-four seven」

元の意味を英語で表記すると「twenty-four hours, seven days a week」となります。

つまり、24時間週7日間=年中無休を表しているんですね。

日本では同じ意味を表すフレーズとして「24時間365日」の方が馴染みが深いかもしれません。

「24時間365日=年中無休」といえば、そういう営業形態のお店はコンビニエンスストアを始め、小売業・飲食業などを中心に、特に都市圏の多数の店舗で取り入れられています。

一方で、最近では某大手コンビニエンスストアのフランチャイズ店が人手不足などの影響で時短営業にした結果、

「24時間営業に戻さないと違約金を払ってもらうぞ」

と本社側から通告された、といったニュースの影響もあってか、「24時間営業、本当に必要?」とこれまでの24/7な営業形態を見直す流れにもなってきています。

私個人としては、24時間365日営業のお店やサービスがあること自体はありがたいと思う一方、

AIなどの技術的な面での発展によって、将来的には

「無人でも営業が成り立つ」

ようになっていったら、人手不足やそれによる過剰労働などの弊害も解消できて、無理なくこの形態を続けられるんじゃないかなぁと考えたりもします。

ところで話は変わりますが、いくらお店が24/7で開いているとはいっても、同じ1人の人物が24/7でそのお店で働いているということはないですよね。

そんな労働基準法もへったくれもない、世に数多あるブラック企業も裸足で逃げ出すようなそんな働き方、

世界広し、70億人はいると言われている全人類を見渡しても、できる人はいるのか?いや、いないだろう、というものです。

それでも、誰しも24/7な生き方をしていると言えるのではないか、今回のお題というか「24/7」というフレーズが脳裏をよぎった時、ふと考えたのです。

何を言っているのか……?

人は24/7で自分自身である、じゃないですか。

病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、寝ているときも醒めているときも、雨にも負けず風にも負けず、生まれてから死ぬまで。

24時間週7日365日、年中無休で自分は自分自身である、ではないですか。

なんて、書いている自分でも何を言っているんだと思いますし小っ恥ずかしいし、話のスケールがやたら大きいような、ちょっとスピリチュアル要素が入っていそうな内容になってきたような気もしますが。

そうした方向に持って行きたかったわけではなく、ふと、考えてみたのです。

漫画、小説、ドラマ、映画など媒体はどれでも良いのですが、たまにありますよね。

「亡くなった方が別の人の体を借りて現世に戻ってくる」

といった内容のお話。

そうしたお話の是非について何かを言いたいわけではないのですが、この時フィーチャーされるのは、戻ってきた魂の方の物語であることがほとんどです。

では、体を借りられた人物の自我・魂などはその間どうなっているのでしょうか?

想像力に長けているわけではないのでなんとなくの想像になってしまうのですが、長い長い眠りについているような感じになるのでしょうか?

では逆に、体を借りられた方の人に焦点を当てる話を借りに作るとしたら、どんな内容になるのでしょうか?

ひとつの可能性として、こんな設定を考えてみました。題して、

「もし、自分の意思で自分自身の体を貸し出せたとしたら」

自分自身があと何人いたら、というような感じで、自分ではない何者かになれたら、という想像をしたことがある人もいるかもしれませんが、

大前提として倫理的な面ではどうなのよ?という課題が浮上しそうですが、それを仕組み化した場合、こんな形になるんじゃないかと。

まず、体を貸し出す側は期間と料金を決めることになるでしょう。

料金の下限については、全国の最低賃金の加重平均
(ザックリいうと人口など、各データの重要な要素を考慮して計算された平均値、と考えていただければ)
の時給×貸出時間、あたりに設定するのがわかりやすいでしょうか。

借り手側の都合で期間の延長を可能にするか、という選択をつけることもあるかもしれません。

そして、貸し出す側はおおよその自分自身のスペック(年代・性別・職業・収入・居住地区など)を提出します。

このスペックは人気度合いに影響してくるでしょうから、たとえば収入が多かったり、料金が上がったり、もしかしたら倍率が高すぎて抽選制になったりもしそうですね。

顔出しは任意になるのかな、と思いますが、すごくイケメン・美人だったりすると、似たような現象が発生しそう……。

機密性がかなり求められたり、首相などの一部の職業の方は貸出禁止、といったこともありそうです。

それから、そもそも貸出自体がきちんと「本人の意志」であることの証明が必要になってきますよね……。
(小さなお子さんとかね…たとえ親族であっても第三者から不当に自分の体の権利を奪われないためにもね)

次に、借り手側は、以下のような誓約書に同意のサインをする必要が発生しそうです。

「地位・名誉・財産などの、貸主の社会的立場を損なう行為は厳禁(犯罪行為、著しい散財など。配偶者・交際相手がいる場合は不貞行為も含む)」
「貸主の社会的地位を利用して、借主・貸主間では本来ありえない利益をもたらすことも厳禁(大手企業の重役である貸主の立場を利用して借主を就職させたり出世させたり、など)」
「貸主側が許可しない期間延長は行えません」

あとは、貸主側の個人情報などの機密性が高い記憶は借り手側が元の体に戻る時に抹消される、みたいなものがあると良いかもしれませんね。

それからもちろん、貸主側が元の体に戻れない・元の体に戻った時にそれまでの生活を送ることができなくなる病気・怪我・事故が起こらないようにする決まりや仕組み作りもしっかり行わないとですね。

貸主側は自分の体を誰かに借りられている間は、ずっと眠っていてもよし。また別の人の体を借りるもよし。

借り手側も誰かの体を拝借している間は自分の体を貸し出していてもよし。眠らせておくもよし。

といった形になるのでしょうか。

他人になりたいわけではないけど、ひとまず自分というものを一度お休みしたい、というような方も中にはいらっしゃるかもしれませんしね。

と、ここまでは人間対人間で考えてきましたが、種族を超えた貸し借りも可能にするかどうか一考の余地がありそうですね。

たとえば私は、なんか疲れたなぁと思うと、
「生まれ変わったら、優しい飼い主の元で飼われる猫になりたい」
などと口にすることがあるのですが、

私は猫になりたい!は叶えられるのかどうか。

この場合、猫の意志をどう確認するか、ですかね…。

タカラトミー社が鳴き声を元に犬の感情表現を日本語に翻訳してくれるバウリンガルとともに、猫向けの姉妹品であるミャウリンガルも過去に発売したのですが、

技術の進歩によって、そのミャウリンガルをさらに進化させた何かが世に登場するのを待たないと厳しいですかね……。

と、ここまで長々と書いてきて、実は「世にも奇妙な物語」あたりでこういう話がすでに世に発表されていたらどうしよう……という考えが脳裏をよぎりました。

その場合はぜひ視聴・拝読したいので、この作品!と教えてもらえると嬉しいです。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)