陽のさくら、陰のさくら

企画

今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけでまずはルールのおさらい↓

今回のテーマは「さくら」。
早速今回も書き進めていきたいと思います。

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3000文字チャレンジさくら、によせて

さくら、は日本人にとってとても馴染みの深い植物です。

春先に行われる卒業・入学式を彩り、
人々が桜の木の根元に集って飲めや歌えやと親交を深め、
咲いてから散りゆく姿までをも愛でられ、
古今東西、短歌から歌謡曲まで謡われる対象となり、
またはかない人生を投影する人もありました。

そんな「さくら」がテーマとなった今回の3000文字チャレンジ。

花見や卒業、入学を始めとした思い出、
歌謡曲の話やそれこそ桜の生態・歴史・開花情報などなど、今回の「さくら」というテーマは、書こうと思えばさまざまな切り口がありそうですよね。

そんな中、「さくら」というキーワードを聞いて私の脳裏を真っ先によぎったのがこちらでした。

「なんだっけ、あの……桜があんなに綺麗に咲くのは、根元に屍体が植わっているからに違いない!ってやつ」

ピンときた方には、なんという思い出し方なんだと呆れられそうではありますが……

今回は、梶井基次郎氏の著作『桜の樹の下には』と、合わせて坂口安吾氏の著作『桜の森の満開の下』について、書いていきたいと思います。

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梶井基次郎氏/『櫻の樹の下には』

梶井基次郎氏

明治の終盤に生まれ、昭和初期に亡くなった、日本の代表的な小説家の一人。

彼の著作で最も有名なものは、高校の教科書にも載る『檸檬(れもん)』ではないでしょうか。

ちなみに『檸檬』とは、梶井基次郎氏が第三高等学校に在学中、京都に下宿していた時代の鬱屈とした心理状態を、

一個のレモンとの出会いで得た感動と、鮮やかなレモンの爆弾を洋書店の書棚の前に仕掛けたつもりになって逃走するという空想を交えて描いた短編小説であります。

鬱屈とした日々を送っている、というだけであれば、いつの時代にもそういう人はいるよね……と思わないでもないのですが、

そこから、みずみずしい果実を爆弾に見立て、それを仕掛けて逃走するという空想上のいたずら心を詩的な文章にしたためる、という発想とその成果については、

やはり日本の代表的な作家の方なだけあって常人には到達しえない部分だなぁと、『檸檬』を最初に教科書で読んだ時に、そんな感想を抱いたことを覚えています。

『櫻の樹の下には』

そんな梶井基次郎氏の著作には、この『櫻の樹の下には』もあります。

「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」

というなかなか衝撃的な冒頭文のため、記憶に残っている人も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

このお話は、満開の桜のあまりの生き生きとした美しさに、逆に不安と憂鬱な気持ちに駆られた「俺」が主人公の物語です。

あまりにも生に満ち溢れ、美しいからこそ、
「あの桜の樹の下には屍体が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているのだ(だから桜は美しく咲き誇るのだ)」
と想像する、というのです。

光あるところに影あり、美と醜、陰と陽、生と死。

目の前の情景に対して、真逆の要素を想像することで、ようやっと心の均衡を得る、そんな主人公の姿が「お前」に語りかける文体で描かれています。

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坂口安吾氏/『桜の森の満開の下』

で、なんでこの作品も合わせて紹介するのさ?

とここまで読み進めていただいた方の中には、そんな疑問を感じた人もいらっしゃるかもしれません。

理由としては単純で、私の記憶が曖昧だったために、

「桜の木の下には屍体が植わっている、というのはどっちの作品だったっけ?」

と、うろ覚えの内容を頼りに検索した結果画面で、『櫻の樹の下には』と『桜の森の満開の下』との間で迷ったからです。

というわけで、ここからは、著書の坂口安吾氏と、『桜の森の満開の下』について紹介していこうと思います。

坂口安吾氏

明治の終盤に生まれ、戦後に亡くなった、こちらも日本の代表的な作家の一人。

純文学を始め、歴史小説・推理小説も執の他、文芸や文化、古代の歴史など、かなり幅広い題材を扱った随筆なども書いており、かなり多彩・博識な人物であったことが伺えます。

坂口安吾氏の代表作としては、

敗戦直後の世相と人々の姿から、戦争に負けたからではなく、人は元々堕ちる性質を持っている、といった、人間の本質的な部分を見つめ、書いた随筆・評論文『堕落論』

敗戦間近の場末の商店街裏町に暮らす映画演出家の男が、隣家に住む白痴の女性と奇妙な関係を持つ姿を描いた短編小説『白痴』

などを挙げる人が多いのではないでしょうか。

『桜の森の満開の下』

『桜の森の満開の下』もまた、坂口安吾氏の代表的な短編小説の一つです。

この話は、鈴鹿峠に棲みつき、通りがかりの旅人の身ぐるみを剥いだり、連れの女性は気に入れば自分の女房にしていたような山賊が主人公の物語で、

山賊は自分が住んでいるこの山のすべては自分のものであると思っていましたが、唯一、桜の森だけは恐ろしい場所だと思っていました。

桜が満開の時にその森を通るとゴーゴーと音がして、自分の気が狂ってしまうのだと信じていたのです。

とある春の日、山賊はいつも通り通りがかりの旅人の身ぐるみを剥ぎ、連れの美女を自分の女房にします。

その美女は自身の亭主を殺されたのですが、山賊を恐れることなくやがては魅了し、

山賊が家に住まわせていた女性たちを、足の不自由な1人を除き、すべて殺させます。そして、都を恋しがった彼女の意思を尊重し、山賊は美女とともに都に住まいを移します。

都に戻った女は、山賊が殺した者たちの生首を並べて、残酷な振る舞いをし続け、山賊に、次々と新しい生首を自分の元に獲って帰ってくるよう命じました。

やがては山賊もそんな女の行ないを嫌がるようになり、また都住まいに馴染めなかったことから、山に戻ることを決意します。

そうすると美女も、これまでの生首への執着を諦めて、ともに山に帰ることを承諾します。

そうして、山賊は美女を背負いながら、かつて暮らした山へと帰っていくのですが、戻って来られたことに対する嬉しさから、昔は避けていた桜の森へ足を踏み入れます。

満開の桜の下、山賊が振り返ると、自分が背負っていた女は、醜い鬼に変化しており、山賊の首を絞めてきます。

必死で鬼を振り払い、逆に鬼の首を絞める山賊。

ふと気づくと、女は元の姿に戻っており、降りしきる桜の花びらにまみれて亡くなっていました。

山賊は亡くなった彼女に触れようとしますが、女がいたところにはただ花びらが残るだけで、身体はかき消えてしまいました。

跡には風に舞う花びらと、虚空だけが……。

というところで、物語は幕を閉じます。

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3000文字さくら、まとめ

パッと咲いて、美しいうちに散りゆく桜。

私の場合は、ゴールデンウィーク手前くらいまで、毎年花粉症のピークシーズンということもあって、発症してからここ数年、積極的に桜を見にいこうという気持ちになれずにいるのですが、

それでも、駅から自宅までの帰り道などにポツポツと桜の木を植えているお家があるので、通りがかりに花の咲いているのを見上げるのが毎年の楽しみでもあります。

さて、今回の3000文字チャレンジでは『櫻の樹の下には』と『桜の森の満開の下』というふたつの文学作品を紹介してきました。

美しさの仮面の下には死の影が横たわっているのか。
はたまた、春の夜の夢のごとき幻がそこにいるのか。

『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。』
(フリードリヒ・ニーチェ)

なんていう言葉もありますが……

あなたが桜を見るとき、その胸にはどんな想いが去来しますか?

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)