突然ですが、ここ数年は特に、
「好きなことをして生きていく」
「働き方改革」
など、どのようにして働いていくか、ひいてはどんなふうに暮らしていきたいか、について改めてフォーカスし、考え直すという動きがより活発になってきています。
今の世で生きていくにあたっては何らかの方法(働くこと)で収入を得る必要があるわけで、
その働く内容が自分の好きなこと、あるいはその延長にあることであれば確かに素敵ではあります。
だけど、好きなことで収入を得て生きていく、は、必ずしも自分にとって理想的な働き方とイコールではないのではないか?
ということを、同時に考えることがあります。
好きなことをして生きているはずなのに、疲弊してしまう、ということもないとは言い切れないのでは、と。
なので今回は、
「好きなことを仕事にする、は、生きづらさを感じない働き方を考える上でのひとつの選択肢ではあるが全てではないのでは?」
ということについて考えてみたいと思います。
なお、私は現在会社員を辞めてしまっていますが、それは私個人に合った別の生き方に近いものを見つけたからであり、
けして「会社員オワコン」などというつもりはありません。
私の考え方にマッチする会社を見つけられたら、いつでも会社員に戻るつもりです。
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「ワークとライフを切り離すこと」が必要だと感じた会社員時代
「これをやりたい」より「これをやりたくない」が多かった新卒の頃
たとえばわたしが好きなことの中には、映画やドラマや演劇鑑賞、ライブに行くこと、などがあります。
ただ、こうした分野に携わる仕事がしたいかというと、それは違うなぁと常々思っていました。
強いて言えば、創作であれ課題のレポートであれ文章を書くことが好きだった結果今このブログがあり、
そんな「好き」が小銭貯金くらいの収入になり始めている、くらいです。
他方、もし自分が働くのなら、これは避けたいと思うことはいくつかありました。
その中でコアとなっていた考えは以下の3つ。
- 転勤(少なくとも自分が独身のうちは/できれば生涯避けたい)
- 電話・初対面の人との接触が多い仕事(営業とか)
- 趣味などのプライベートの時間を脅かされていると感じる環境
まずひとつめの「転勤」と、ふたつめの「電話・初対面の人との接触が多い仕事」について。
以前「10歳の頃、あるいはワールドワイドかもしれない話」という記事でも少し触れたのですが、
私の実家が何度か転勤による転校を余儀なくされた家庭だったことに関係しています。
当時は現在よりメールなど、子どもでも通信や郵便の料金をあまり気にせずに離れてしまった友人たちとやりとりする手段が発達していなかったこと、
おそらく子どもの方がより顕著に
「属しているコミュニティが分かれると共通の話題も減り、一緒に過ごせない時間も増えることで結果として疎遠になる」
といったような部分が出やすいのではないかと思っているのですが、
要するにそのような環境的な要因も多少あって、長く付き合い続けられる友人になかなか出会えなかったことが幼心に寂しかったのではないかとも考えています。
また、今ではある程度の年数を生きたことによる経験によって「初対面でもバリバリ人見知り感を出さないふるまい」が多少は身についたように思いますが、
本当は新しい環境、新しいコミュニティに慣れるまで時間のかかるタイプだと自覚しています。
また、日々初対面の人と会話する環境にはきっと耐えられないだろうとも感じています。
ここまでをまとめると、
「強制的に新しい環境に身を置く羽目になる転勤と、社外の人と交流の多い業務は避けた方がストレスが少なかろう」
というのが、自己分析をした結果であった、ということです。
みっつめの「趣味などのプライベートの時間を脅かされていると感じる環境」はおそらくこの中では一番わかりやすく、
「好きなことの中から仕事にしようと思えることはなかった」
「だから、好きなことに使う時間を守りたい」
という心の現れです。
思えばこのみっつめが一番叶えにくかったのが私が所属していた会社で、だから辞めるに至った、ということになるのでしょう。
好きなことを守るための働き方についての葛藤
開催する意義が不透明な不明な定例会議
その会議や社内向けに作られる無駄のように見える資料作り
社内で何かをするために得る承認のための調整
残業=頑張っている、あるいは残業続きであることを嬉々として語る文化
会社員がオワコンであると語る上でよくピックアップされる代表的な事例ですが、例に漏れず私もこれらのことに苛立ちを感じた経験があります。
私はずっとIT関連の企業におり、おかげさまでVBAやSQLなどを始めとした簡単なプログラミングスキルを身につける機会があり、
仕事にしたいと思える好き、がなかった中で、就職したことで見つけられた好き、のひとつにもなりました。
「明日の私が1分1秒でも早く帰れるように」
黙々と画面に向かって、ひとつ簡単な処理でもマクロ、プログラムが出来上がっていくことは好きでしたが、
一見ネガティヴな動機でも、それによってこれまで膨大にかかっていた作業時間が短縮できた、手作業の頃よく発生していたミスが削減できたとなれば、それをモチベーションに繋げてもあながち悪いことではないだろう、という側面もあります。
とはいえ、それでも自分ではどうにも削減できない、納得のいかない時間というものがあった。
戦いきれなかった部分が、結果として、所属していた会社を辞めることに繋がったわけです。
で、今は日雇いのバイトに従事しているわけですが、時には残業となることもなきにしもあらずとはいえ、大抵は「見込んでいた作業が終わらなかった」というわかりやすい理由によるものですし、
何より、演劇鑑賞を趣味の一つにしている関係で、比較的チケットの取りやすい平日に休みを取ることも、関係各所との調整なしに自分の意志だけで決めることができるので、
結果としては良かったかな、と考えています。
もちろん転勤もありません。
初対面の人とのコミュニケーションに関しても、よくシフトを入れていれば顔見知りも増え、当日の作業員内でなれているメンツに出会える可能性も高まってくるので、まずまず問題ないと感じています。
ただ、仕事が安定的にあるとは限らないことや金額の面、体を壊してしまった途端に収入ゼロになるなど、まだまだ考えなければならないことは多く、
ずっとこのままというわけにもいかない。
それが現状課題としてまだ残っている部分でもあります。
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好きなことを仕事にした時、どんな働き方でも許容できるのか?
好きなことと仕事を切り離す選択をしてきたのは自分です。
結果、好きなことに費やすための時間を守ろうとこれまで動いてきました。
現状はまだ課題も残っていますが、概ね満足な働き方ができているかな、と考えています。
ですが、時折考えることもあるのです。
これがもし、好きなことを今からでも仕事にしたとしたら、たとえば最初に行った会社のようにブラックな働き方でもできるのだろうか?と。
答えは「NO」かな、と自分では思います。
もちろん全く興味のないことを仕事にするよりは馬力は上がるかもしれません。
それでも、たとえば映画やドラマ、演劇、音楽にしても、
自分がその制作過程に携わっていないからこそ純粋に楽しめている部分があるのではないか、とか。
自分が2社目の会社を休職していた頃からは体力的にだいぶ回復したので、
「この日絶対休みたいから、それまでは頑張る!」
と多少無茶なシフトを入れて連勤もしてしまう、若干ワーカホリックな側面もあるので、
これが好きなことを仕事にした時に歯止めが効かなくなってしまうのでは?という懸念があるから、とか。
そうなった結果、本来好きだったものも好きでなくなってしまったりするのではないかと心配してしまう部分もあるとか。
さまざまなことを考えてしまいます。
それでもいいと思えるなら、好きなことを仕事にできることは、とても幸せなことなのではないかと思います。
あるいは、たくさんある「好きなこと」の中から、仕事にしてもいいかな、と思えるものと、仕事とは別に楽しめるものを分けておくリスク分散も良いでしょう。
また、私のように最初から、どうしても無理ということ以外でできることを仕事にして、好きなものは好きなものでプライベートの時間に謳歌するという選択肢もアリだと思います。
最後を選んだ時、思わぬ「仕事にできる好きなこと」と出会える可能性もあったりするので、それはそれで楽しいですしね。
この記事は明確な答えを提示できるものではないでしょう。
けれど、
「好きなことを仕事にする」
がたとえば現状の仕事に対する不満を解消できる策となり得るのか。
もっと違う視点から捉えて、それ以外の方法を考え、試してみようとするのもありなのではないか?
そんな風に考えてみる一つのきっかけとなれば幸いです。
この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)