感情の循環と放出のスイッチとしてのお酒

企画

令和も早2年目。最初はなんとなく馴染まないような気さえもしたこの新たな元号も、今となっては随分と慣れてきたように思います。

ところでこの令和という元号、選定元となっているのが奈良時代に編まれた『万葉集』巻五に収録されている梅花の宴の歌32首の序文に記されていた以下の一節、という話を聞いたことがある、もしくは覚えている、という人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

『初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香』
(初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす)

ちなみにこの「梅花の宴」は、飛鳥時代〜奈良時代にかけての公卿(くぎょう/簡単にいうと国政を担う職位にある高官)で歌人でもあった大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で開かれた宴会で、

そこで「筑紫歌壇」と呼ばれる32人が歌った32首の歌が、令和の典拠となった例の序文とともに『万葉集』巻五に収録されているのです。

ちなみに『万葉集』の成立については、その編集過程について諸説ありますが、中でも有力といわれているのが、大伴家持が携わった、というもの。

「梅花の宴」の主催である大伴旅人は、大伴家持の父親でもあります。

酒をこよなく愛し、「酒讃(ほ)むるの歌」を13首も詠んだ大伴旅人

「梅花の宴」で歌われた32首は『万葉集』巻五に収録されていますが、

大伴旅人の歌の中でも特に名高いのは、『万葉集』巻三に山上憶良(やまのうえのおくら)や満誓(まんぜい)らの歌に挟まれる形で収録されている、13首のお酒を讃める歌ではないでしょうか。

さすが歌を嗜む人となると、こちらも嗜む対象となるお酒をも歌とコラボレーション(?)させちゃうところがまた風流といえますね。

13首すべてを紹介してもいいのですが、今回はこの中でも特に興味深いと感じたものをいくつかピックアップしていきたいと思います。
(ピックアップしきれなかったものは最後にまとめてご紹介します)

私は酒壺になりたい

「中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ」

中途半端に人間でいるより、酒壺になって酒に浸(ひた)っていたいなぁ、という歌であります。

人は古今東西、無機物・有機物に関わらず人間以外のいろんなものになりたがった形跡を残してきていると思いますが、酒壺になりたいと書き残した人は彼くらいかもしれませんね。

ちなみに私は来世はとても可愛がってくれる飼い主さんのもとで幸せに暮らす猫になりたい、とよく口にしています。知らんがな、だとは思いますが。

飲まないヤツは猿だ!

「あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」

なんとも醜いことだよなあ、賢ぶって酒を飲まない人を見ていると猿によく似ているよ、という意味合いになるわけですが……

お酒をあまり飲めないような方やシラフの人から見たら、場合によっては酔っ払いの方がよほど猿的な側面があるような気がしないでもない……

あとこの歌、ようするに「酒の席ではイきるなや!」ということなのかな、と思いますが、一歩間違うとアルハラになりそうなお言葉にも聞こえてちょっと心配になってきます。

もしかしたら奈良の世でもこの歌を歌った時、彼はお酒を飲んでいたのかもしれないし、その傍らにこの歌を聞いていた人がいたとしたら、同じように心の中でツッコミを入れたんじゃないでしょうか……

感情の発露のスイッチとしてのお酒

「験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし」
「賢(さか)しみと物言はむよは酒飲みて酔哭(ゑひなき)するし勝りたるらし」
「黙然(もだ)居りて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ及かずけり」
「世間(よのなか)の遊びの道に洽(あまね)きは酔哭するにありぬべからし」

簡単に上から順に訳していくと、

考えても仕方がないような物思いにふけるぐらいなら、一杯の酒を飲むほうがよほどいいらしい。
賢ぶって物言うよりは、酒を飲んで酔っ払って泣くほうがよほど勝(まさ)ってらしい。
黙りこくって賢ぶったりするのは酒を飲んで酔って泣いたりするのにやはり及ばないものだなぁ。
世の中の遊びで一番楽しいことは、酒に酔って泣くことにちがいあるまい。

という感じでしょうか。

物思いにふける時、お酒をパーッと飲んでひとときでも忘れてしまおうという行為は特にその問題の解決には結びつかない、一見あまり意味のないような行為と捉えられることも、少なくはないでしょう。

ただ、時にはそれで涙したとしても、お酒きっかけでも感情の発露は大事であるということを言いたかったのかな、と感じるのは、もしかしたら大伴旅人氏の置かれていた状況によるものかもしれません。

というのも、彼が太宰帥(だざいのそち/太宰府の長官)として、都から遠く離れた九州に派遣されたのは、齢60歳を超えてからなのですが、その九州の地に伴った、長年連れ添ってきた妻を病のために亡くしています。

その妻のことをどれだけ愛しく想って来たか、亡くしたことの悲しみについては、太宰帥の任期明けに都へ帰る時に歌われた作の中にその哀愁を見ることができます。

「我妹子(わぎもこ)が見し鞆之浦(とものうら)の天木香樹(むろのき)は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき」
「鞆之浦(とものうら)の磯の杜松(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも」

京都から九州へ赴く際に、鞆の浦(とものうら)で目にしたムロの木。その時共にいた妻のことを思い出しながら、そんな彼女がもういないことを噛み締めています。

そして、都に帰り着いた際には、

「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」
「妹として二人作りし吾(あ)が山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも」

という、誰も住むものがおらず空きだった家が旅の苦しさよりも勝るほど辛いこと。そしてかつて妻と2人で造った庭の築山が、家を離れている間に随分と立派に成長し、枝葉も生い茂るようになったのに、その木を一緒に植えた妻はもういないことを淋しく思う歌を詠んでいます。

こうした彼の背景を見ると、お酒は彼にとって、妻を亡くした哀しみのように、覆らないような物思いにふけるくらいなら、ひと時でも楽しく、あるいは自分の内に滞留する悲しみを外へ向けて発露する、そのきっかけとして、という意味合いもあったのではないかと感じます。

その他の「酒讃(ほ)むるの歌」 たち

ここまで紹介してきた他にも、大伴旅人は以下のような「酒讃(ほ)むるの歌」たちを詠んでいます。

「酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古の大き聖の言の宣しさ」
「古の七の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせし物は酒にしあるらし」
「言はむすべ為むすべ知らに極りて貴き物は酒にしあるらし」
「価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒に豈(あに)勝らめや」
「夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るに豈及(し)かめやも」
「今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ」
「生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくを有らな」

ここではそれぞれの訳などは載せませんが、それぞれにとても味わいがあるので、興味がある人はぜひ現代訳を探してみてください。

最後に

もちろん、だからといってまるっきり本音の全てを曝け出すということもないのですが、

普段感情をあまり表に出さない、飄々とあるいはあっけらかんとしている、と言われることもままある私は、

お酒を飲むと多少口が滑らかになって、日々感じていることなどを喋ってくれるようになるから飲みに連れて行き甲斐がある、というようなことを会社員時代言われたことをふと思い出しました。

お酒は人の本性を暴くとも、ヤバい人がお酒によって暴かれるだけだとも言いますが、内に溜め込みすぎても良くない感情を少しでも発散させる、お酒は私にとってもそんな作用があるのかな、なんて考えるところです。

ただ、とはいえお酒は思い煩いの根本的な解決策を提示してくれる魔法の飲み物、というわけではないので、あまり頼りすぎず、

用法容量を守って、ひと時のお楽しみのお供のひとつ、くらいに考えるのが賢明、ともいえますね。

なお、本記事ですが今回は3000文字チャレンジ(@challenge_3000)という企画の参加記事となります。

というわけで、お題と企画のルールについてはこちらから↓

今回のお題は『酒』でお送りしました。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)