撮られ嫌いと写真

企画

突然ですがこの記事を読んでくださっているあなたは、写真が好きですか?

好き、または好きではない、それは写真を撮る行為がですか?撮られることがですか?

ちなみに私自身は写真を「撮られること」が好きではありません。苦手、と言い切ってもいいくらいです。

あえて何故、と考えてみたこともないんですが、今回その理由を少し掘り下げてみようかなと思います。

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写真と自分との関係を振り返る

実家には確か私を写した写真が収められているアルバムが20冊くらいはあったはずなんですが
(長女かつ両家にとって初孫だからかやや多い印象)

そう考えると小さい頃は特に写真を嫌がっていた感じはしません。

というよりも、好む・好まないの自我がまだ確立されていなかった、と考える方が自然なのかもしれませんが。

そして、小学校・中学校・高校と、各林間学校や修学旅行をはじめとした行事での写真購入の際に、枚数少ない?と言われることもなかったので、好きだったかはさておき、写真を撮られることを嫌がることはなかったのかなと思います。

ところで、私が学生だった頃は写真が廊下などに貼り出されて、その横に書いてある番号を控えた封筒にお金を入れてそうした行事の写真を購入していたのですが、今の時代はどうなんでしょうね?

自分は写っていないけど、好きな人が写った写真をなんとか買えないかと試行錯誤した淡い思い出をお持ちの方も中にはいらっしゃるんじゃないでしょうか。

話を元に戻すと、高校生まではそんなふうに写真に写ったりもしていたし、小学校高学年頃から登場したプリクラとかも積極的に撮っていて、これは大学生くらいまでは続いていたので、この辺りまでは特に苦手意識が顕在化することもなかったように思います。

ということは、写真と距離を置きたくなってきたのは社会人になってから、という感じがします。

写真を撮られることが苦手な理由を考える

先に結論から言うと、
「社会人になって、撮られる機会が圧倒的に減ったから」
なのではないかと感じています。

運動会に遠足、文化祭に旅行。

学生時代はそうしたイベントごとが定期的にあり、特に周りにその時の楽しさであったりを残したいという友人が多ければ、写真を撮る、という機会は自然と多くなってきます。

そんな時、もともと写真を撮られることが苦手なりにも、顔の角度とか口角とか目の開き方とか、少しでもよく写ろうと考えて実践してみようと試行錯誤していたんじゃないかと思うのです。

そうすると「より良い撮られ方」というのを忘れていくんじゃないかと思うんですよね。

なぜなら写真やプリクラは、永久にというわけではないものの、ずっと残るものだから。

でも、そうした機会というのでは社会人になると、高校までと比べて圧倒的に減ります。

プリクラだって、社会人になってからすぐくらいまでは積極的に撮るかもしれませんが、年々その頻度が下がっていくか、撮らなくなっていくか、そういう人は多いんじゃないかと思います。

運動しなくなれば筋肉が衰えていくように。
使わなければせっかく学んだ語学を少しずつ忘れていくように。

あの頃頑張っていた「より良い撮られ方」の研究の記憶も、徐々に薄れていく。

そうしてふと、写真を撮ろうという機会が久しぶりに訪れた時に、どんな顔をしていいのか、わからなくなってしまう。

この辺りが、現在写真を撮られることを苦手に思う原因の、大きなもののひとつなのではないかと感じています。

まぁもっと有り体にいえば、写真って普段は自分では見られない「他人から見た自分」でもあるわけでして。

こんな顔を普段晒してたのか!!

っていう現実を直視したくないのかもしれません。知らんけど。

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遺影の問題について考える

突然の事件・事故から、1分後には人生が突然終了する、といった可能性は誰にでもあり得ることなのではないかと思います。

とはいえ、皆普段からそんなことを考えてはいないのではないでしょうか。

この道を曲がったら車にぶつかられるかもしれない!!

などということを日々常々考えながら生きていたらそれこそ精神がもたないですよね。

なので、自分の遺影をあらかじめ撮っておこう、という考えに至る人というのも、割合としてはかなり少ないんじゃないかと思います。

写真を撮られるのがとにかく苦手!という人であれば、なおのこと改めて写真を撮りに行く!ということの心理的なハードルは高いんじゃないかと思います。

というか、私にとっては結構高いです。

ただ、いつだったか確かTwitterで見かけたこんな言葉が定期的に脳裏をよぎることがありまして。それは要約するとこんな内容です。

「不慮の事故などで亡くなった時に、より現在に近い写真が残されていないと、中学や高校の時のアルバム等から引っ張られることになる。だから、Facebookあたりに定期的に最新の姿の写真を残しておこう」

確かになぁ、と妙に感心するところではありました。

老いはしたが当時より今の方が痩せているくらいだから、中学高校のアルバムからできれば引っ張ってきて欲しくはない。

感心して、納得したので、私も残しておこうかなぁと考えたところで、まずはFacebookのアカウントを作り直すところから始めました。

Facebookについては実は一度、25歳を過ぎた頃の最初の転職前に消していまして。

理由はちょっと恥ずかしいんですがこの頃はまだ
「辛い現状からある日突然抜け出せないものか」
という願望に結婚というワードが結びついていて、だけどまぁ彼氏もおらずな状態で第一次結婚ブームが到来しており、いわゆる「キラキラ投稿疲れ」を発症していたんですね。

まぁ現実逃避願望についてはその後転職したことで満たされて、満たされた結果、自分は別に結婚したかったわけじゃなくて、現実から逃げたかっただけなんだな、という気づきが得られたわけなんですが、

なんとなくそれ以来、Facebookを再開する機会もないままだったんですね。

でも、背に腹は変えられないぞと思ってアカウントを作り直し、付き合いの長い何人かの友達には申請まで送って、ということころまではやったんですけども。

やっぱりというか、写真を撮ることの心理的ハードルが高いし、自然にそういうものを撮りそうなイベントごとなどの機会もなく。

気づけばまた放置しています。本来の目的はどこへ行ったのか。

ちなみに私が現在お付き合いしている人もまぁ写真を撮られるのが嫌いでして。

まぁそれがなくても知り合ってからは干支一周以上の時間が経過しているし、そもそも付き合いたての頃だったとしてももはや出かけた先々で記念撮影をするような歳でもないか、という思いはありますが。

結婚の話は出ているし、身内だけにしたいけど式はやろうかという話にもなっているので、ウェディングフォトという段階にでもなれば撮れるかなぁ、と今は思ってます。

……その前に召されてしまったら元も子もないんですけどね。大丈夫だって信じたい。

撮られ嫌いと写真 まとめ

というわけで、写真を撮られることが苦手というかもはや嫌いの域にいる私の話をここまでしてきました。

私は撮られるの好き!!信じられん!!

という方にとって不快に感じる内容だったとしたら申し訳ないです。石投げたいわけではないので投げないでいただけると幸いです。

なお、本記事ですが今回はいつも参加している3000文字チャレンジ(@challenge_3000)という企画のスピンオフ版、「さんぜん文字チャレンジ」の参加記事となります。

というわけで、お題と企画のルールについてはこちらから↓

テーマは『写真』でお送りしました。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)