映画『初恋のきた道』あらすじ・感想・レビュー

企画

藤代あかり(@akari_fujishiro)です。

今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけで、お題と企画のルールについてはこちらから↓

今週のお題は「道」

お題を聞いて一番最初に思い出したのは北原白秋作詞、山田耕筰作曲の日本の童謡「この道」だったのですが、

その次に思い出したのが、タイトルにも書きました映画『初恋のきた道』。

というわけで、今回はせっかくなのでこの『初恋のきた道』という映画を紹介していきたいと思います。

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映画『初恋のきた道』概要

『初恋のきた道』基本情報

1999年に公開された、鮑十(パオ・シー)氏原作の小説を張芸謀(チャン・イーモウ)氏が映画化した中国の作品。

ちなみに原題は「我的父親母親」です。

また、本作品はのちに『グリーン・デスティニー』や『ラッシュアワー2』など、中国・アジア諸国以外でも広く国際的な知名度を得ることになる章子怡(チャン・ツィイー)さんの映画デビュー作でもあります。

そんなチャン・ツィイーさんは本作では、語り手である青年・ユーシェンの母親・チャオディの若い頃を演じています。

『初恋のきた道』あらすじ

都会で暮らしている青年・ユーシェンは、父親が亡くなったという報せを受け、母が住む小さな農村へと帰郷します。

ユーシェンの父は40年以上この村の小学校を一人で支え続けてきた教師でしたがが、古くなった校舎の建て替えの陳情のために町まで出かけた時に心臓病で急死してしまったのでした。

村長たちは、ユーシェンの父の遺体はトラクターで運ぶと言いますが、母のチャオディは葬列を組んで棺を村まで担いで戻る、伝統的な方法で村まで帰りたいと強く訴えます。

しかし、母の願いを汲んで葬列を組もうにも、村の若者は基本的に出稼ぎのために皆出払っていて、人手が足りません。

どうしたものかと困り果てたユーシェンは、若かりし日の母と、そして亡くなった父との出逢いの物語を追想します。

ユーシェンの、そして彼の母親チャオディの故郷であるこの村に初めて小学校が建つことになったのは、チャオディが18歳の頃のことでした。

その小学校に教師として町から赴任してきたのが、当時20歳のチャンユー。

そんなチャンユーに一目惚れしたチャオディは、数少ない手持ちの服の中から、いつも着ている赤ではなく、ピンクの服に着替えました。

当時のこの村ではまだ自由恋愛は稀な時代。チャオディにとってそんな振る舞いは、彼女が出来る精一杯のアピール方法なのでした。

やがて教師として赴任してきたチャンユーと、村の男たちは総出で、小学校の校舎の建築を始めます。

そして村の女性たちはそんな彼らのために各家庭で昼食を作って持ち寄る役目を担っていました。

もちろんチャオディもそれに加わり、チャンユーに食べてもらえるとも限らない料理を心を込めて作り、校舎の建築現場に届けます。

一方のチャンユーもまた、実は村に着いた時に見かけた、赤い服を着たチャオディのことが強く印象に残っていました。

しかし文化大革命の混乱に巻き込まれてしまったチャンユーはある日、町へ連れ戻されることになってしまいます。

(注:文化大革命とは、簡単に言うと「封建的・資本主義文化を批判。新しく社会主義文化を創っていこう」という名目で行われた政治や社会・思想・文化に対する革命運動。といいつつ、毛沢東共産党主席が自身の復権を狙って起こした中国共産党内部の権力闘争、でもあったりするもの)

チャンユーは赤い服によく似合うヘアピンをチャオディに贈り、仕方なく村を去っていきました。

そんなチャンユーを探すために、高熱を押して町へ行こうとしてチャオディは倒れてしまいます。

眠り続けたチャオディが二日後、目を覚ました時に聞こえてきたのは、チャンユーが小学校で授業をしている声。

実はチャンユーはこの時、チャオディの病気について聞き、連れ戻されることを覚悟の上で許可も得ずに町から戻ってきたのでした。

そんな追想から覚めたユーシェンは、母にとって町から村へと続く道がどんな意味を持つのか、について改めて気づき、

母の想いを汲むために村長に無理を言って葬列を組む決心をします。

そうしてチャオディの、息子と教え子たちとともに夫の遺体を村へ連れて帰るという願いは叶えられます。

そしてユーシェンは再び町へと戻る前に、建て替えられることが決まった、かつて父・チャンユーが建設に携わった古い校舎の中で、一度だけ授業を開くのでした。

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『初恋のきた道』のレビュー・感想

映画に限らず、物語に大きな山あり谷あり、言い方を変えれば「抑揚」を求めるタイプの人には若干不向きな映画かもしれません。

どこか懐かしさを感じる、日本の昭和の時代のような美しい農村部の風景と優しい音楽。

そして、いい意味での「垢抜けなさ」の残ったヒロインの、純粋でひたむきで一途な恋心。

ド派手なアクションシーンはおろか、運命に翻弄されて引き裂かれる2人!現れる第三者が2人の関係をかき乱す!といったことも一切ないからです。

でも、絶妙な垢抜けなさがありつつも、やっぱり可愛いんですよね、チャン・ツィイーさんがまた。

彼女の可愛さを拝むために観てもいいくらい。
(もちろんそれ以外にもこの映画の良さはありますが)

それから、現代がモノクロで、過去の回想がフルカラーで描かれているのもまたいいですね。

チャオディにとっての、初恋から長年連れ添ったチャンユーとの出会いがどういったものであるのか、そして現在の自分との対比がよく現れていると思います。

あとは、邦題のセンスがとてもいいな、とも感じますね。

原題の『我的父親母親』は、すごくシンプルにいうと「私のお父さん、お母さん」という意味合いになるわけで、

この物語の語り手である息子のユーシェンを軸に据えた、そしてこの作品の素朴さも感じられるシンプルで良い対ドルだと思うのですが、

現代のチャオディが亡くなった夫を、息子や教え子たちとともに連れて帰ってくる道。
在りし日に、チャンユーという彼女にとっての初恋であり、その後長年連れ添うことになる夫が町からやってきた道。

邦題の『初恋のきた道』は母・チャオディの物語を飾りすぎない言葉で端的に表した、いいタイトルだと感じています。

そういえば、この映画の公開は1999年ということで日本で純愛作品ブームが起きる少し前にあたるのですが、

その純愛作品ブーム、あえて具体的な作品名はあげませんが、

「えっ、この内容で”純愛”……なのか?」

と疑問・戸惑いを覚えてイマイチブレイクしている作品の良さがわからず、ブームに乗り切れなかった当時の自分のことを今でもよく覚えています。

年代が近い方はおおよそお察しいただけるかと思いますが、いわゆる「ケータイ小説」の一部作品とかですね。

当時私自身が中高生とかだったので、年代的にはケータイ小説のターゲット層ど真ん中だったはずなんですけどね。

ラノベは普通に嗜んでいたので、学校の図書館に並ぶような本だけを好んでいたわけでもなかったはずなので、当時流行った作品たちが単純に私の好みと合わなかっただけの話なのですが。

まぁそんな思い出話はさておいて、それを思えばこの作品は、「実らないもの」なんて言われている初恋と何十年も寄り添って生きてきたチャオディの、真に”純愛”を描いた物語ともいえるかもしれません。

(この言い方、褒め言葉としてはちょっと安っぽいような気もしますが)

そんなこんなで、あどけなさの残るチャン・ツィイーさんの可憐さを堪能しつつ、あまりの純愛さに心洗われたい方には大変オススメの映画です。

実らなかった初恋をそっと思い出しながら、こういう初恋だったらなぁとホロリとする、なんていう観方もありかもしれません。

藤代はどちらかというと後者にあたります(泣いてないです)

というか、初恋って皆さんどのように定義してるんでしょうね?

他の人より特別なライクかな?とギリギリ感じられるくらいの頃(幼稚園の頃とか)も含みます?

それとも、恋ってなんぞやとある程度理解していると思しき年代から?(小学生の頃とか)

幼稚園時代の記憶がそもそも薄くて、初恋のエピソードを披露してくださいと問われた際に、なんとなく小学生になってからの話の方を語りがちな藤代です。

映画『初恋のきた道』まとめ

というわけで、映画『初恋のきた道』を紹介してきました。

なお、Amazonでは本作品の字幕版ををレンタルすることで、自宅で視聴することができます。

よかったらぜひこの機会に観てみてください。

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