背筋がじんわりひんやりする電話の話

企画

今回も3000文字チャレンジという企画への参加記事となります。
というわけで、お題と企画のルールについてはこちらから↓

今回のテーマは「電話」。
内容は記事タイトルの通り、という感じなのですが、

今回はこれまで生きてきてとても印象的だった背筋が「じんわり」「ひんやり」する電話にまつわるエピソードを2つ、書いていきたいと思います。

それでは、本文は以下からどうぞ。

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真夜中の報せ

ホリエモンこと堀江貴文氏の著書『99%の会社はいらない』の中に記されていた言葉に、

「電話は相手の時間を大幅に奪うツールで、あなたの時間をも無駄にしている。だから僕は電話が大嫌いだ」

とあるようですが、私自身、というか私の実家には、かねてより上記の風潮があったように思います。

我が家の電話にはいつの頃からか「おやすみモード」という、まぁ要するに電話がかかって来ても着信音が鳴らずに留守番サービスに繋がるように設定がついていたのですが、

まずこれは、必ず夜9時を超えたら設定するというルールのようなものがありました。

「人の生き死にに関わる緊急事態でもない限りこんな時間にかけてくるなんて非常識だ」

という考えに基づいたもので、これはまぁわからなくもないのですが、

今はどうかはわかりませんが私が小中学生の頃はまだ連絡網は家の電話で行われているものであり、

意外と?この時間でもかかってくるケースがあったんですね。特に中学に上がってからの部活の連絡網とか。

で、私が初めて携帯を買ってもらう時にこの背景を利用した覚えがあります。

「これで遅い時間にかかってくる電話のひとつの原因が無くなるから」

ちなみにこの「おやすみモード」ですが夜中以外にも結構活用されていて、

たとえばこれから借りて来たり録画しておいたドラマや映画などを観たいから邪魔されたくない!

そんな時にもよく活用されていました。

自分が大切にしたい時間を確保するという土壌がこの時すでに出来上がっていたんだなぁ、と、今振り返ればそんな風に感じたりもします。

さて、前置きが長くなりましたが、そんな環境にありながら、ある朝母が起き抜けにこんなことを口にしました。

「昨日夜中に電話鳴らなかった?」

聞けば家の電話が夜中の2時くらいに鳴ったというのです。

「おやすみモード」の設定忘れはなく、なのでこの機能が壊れていない限りはありえないはず。

まぁ仮に鳴ったとしても、人が夜中にトイレに立つその物音で起きてしまう繊細な母と、

一度寝るとどんなことがあろうともまず起きることのない妹と私、という差があるので、まぁ気づかなかったのではないかとも思うのですが。

そんなこんなでこの時は気のせいか、夢でも見たのだろうという結論に至って私は家を出たのですが。

その日のお昼過ぎくらいに携帯を見ると、母から連絡が入っていたんですね。

「(私から見て)ひいおばあちゃんが亡くなったので、急遽実家に帰らなければならなくなった」

ここまでお読みいただいた方はもしかしたらお察しかもしれませんが、そのひいおばあちゃんが亡くなったというのが、前日夜中の2時、つまり母が電話の音を聞いたあたりの時間帯だったというわけです。

最後に会ったのは何年前だろうというくらい会えておらず、耳も遠くなっていたので電話さえもほとんどしなくなってしまっていたのですが、

それでも、夢であれ実際に電話が鳴ったのであれ、最後に孫(母)のところに別れの挨拶を、と思ったのかもしれません。

余談ですが、霊感!というほどではないかもしれませんが特に母方の祖母のところには亡くなる前の方がご挨拶に来ることがよくあったらしいです。

母からはそういう話は聞いたことがなかったのですが、まぁそういう感覚がゼロではなかったようで、

富士の樹海の側で行われた林間学校から帰宅した際に

「うん、大丈夫かな」

なんて言われたり、

「露出狂と対峙したら慌てず騒がず真顔で御粗末ということ。霊がいるな、と感じたらまずはあなたの話を聞いたりする余裕はないという強い意志を持つこと。それでも霊が憑いて来ていると感じたら肘鉄を食らわせること」

というありがたい教えをいただいているのですが、残念ながら?妹と私にはその血は一切引き継がれなかったようです。

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ナンバーディスプレイとヒヤリ着信

家の固定電話の機能の中で「おやすみモード」とともに便利だな、と思ったのは、ナンバーディスプレイ。

要は、非通知設定にされていない限り、発信者の電話番号が我が家の電話のディスプレイに表示されるという機能です。

これに伴い、我が家では
「ディスプレイに表示されている番号に心当たりがある場合のみ電話に出る」
という運用が追加されました。

というのも、ナンバーディスプレイ機能付きの電話が我が家に導入された時にはすでに携帯も所持していたので、基本的には各々の個人的な連絡はそちらに来るだろうということ。

なので、ほとんどのケースで、身に覚えのない、どこからか名簿といった類のやつが流出したのかい?みたいな、こちらは特に用事のない業者からの電話がほとんどだったわけですね。

たまに祖父母など携帯を持っていない人からの電話がかかってくることもありましたが、

万が一番号が変わったなどの事情があった場合でも、急を要するケースならば必ず留守電に何かしら残すだろうということもあり、

「不用意に電話に出てしまった結果業者だった」

といったことはナンバーディスプレイ機能付きの電話の導入により、ほぼなくなりました。

さて、そんなナンバーディスプレイ機能付きの電話に関する思い出なのですが、

ある日、ギリギリ「おやすみモード」を設定する夜9時より少し前くらいに、我が家の電話が鳴りまして。

ディスプレイに表示される番号を、電話の一番側にいた母が読み上げるんですね。

発信元の番号は携帯電話。一応心当たりがないかどうかの確認だったんだと思います。

読み上げられる数字の羅列を、私は頭の中で反芻(はんすう)しながら、私は手の中の携帯電話の操作をやめません。

余談ですが、私は当時大学生。この頃はまだスマホが世に出ておらず、折りたたみ式の携帯電話でしたね。

で、この手の中にあったそんな携帯電話を操作しながら、私はとあることを確認していました。

何せその番号には、本当はめちゃくちゃ心当たりがあったからです。知らないといってしまったけど。

だって、その電話が来る数分前にメールの受信と着信を拒否設定にした相手ですからね。

まぁ簡単に言うと当時おつきあいしてた人なんですけれども。

リンクはここでは貼りませんが、『ラスト・フレンズ』というドラマのレビュー記事を書いた際に、

「身体的な暴力はないものの、束縛・依存傾向の強い人」と、若干、ドラマの主人公の恋人を想起させるような方と何とか別れたばっかりの時期に放送されていたのてこのドラマをリアルタイムで視聴することができなかった。

というようなことをチラッと書いたのですが、

まぁそんな方と別れる直前くらいの時期でして、日々だいぶ病んでるメールなどが来ていたので、衝動的に拒否設定にしてしまったら自宅の電話に着信が来た、と。

で、慌てて拒否設定を解除せざるを得なかったわけですが、
(彼氏がいるのは知っていたけどさすがにそんな状態だとは言えなかった)

ではなぜ、個人宅の番号が載っている電話帳への掲載さえも早々と拒否していた我が家の電話番号が漏れたのか。

(個人情報保護が浸透した現在では考えられないことだと思いますが、そんな時代がかつてあったのです)

当時大学生だった私なのですが、なぜか大学生にもなって所属サークルには連絡網というやつが作られていたんですね。

私は早々に綺麗にシュレッダーがけして捨ててたんですが、彼は取っておいていたらしく。

後々別れたいという意思表示として、同じようにこの連絡網を取っておいていた人に聞いてお借りしていたものなどをご丁寧に郵送で送りつけたら

「返すのに直接会いたくもないのか」

ということが決定打になったようで、一応ことなきを得たのですが、

今改めて思うと、自宅に突撃されなくて本当に良かったと、心の底から思います。

なお、この電話に関しては後日談が実はありまして。

なんと母がこの時の番号を控えていて、翌日に公衆電話からかけてみたらしいんですね。曰く、

「(テレマーケティング業者が使うような)発信専用の回線かどうか確かめたかったから」

とのことなのですが……

嬉々として、相手は電話には出なかったけど発信専用の回線じゃなかったみたいだよ!という報告を聞きながら、二重の意味でやめてくれよー!と思ったのはここだけの話。

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背筋がじんわりひんやりする電話の話まとめ

というわけで、電話にまつわるエピソードを2つあげてきました。

前者は個人的にはどちらかというとハートウォーミングな話だったと思っているのですが、どうでしょうかね?

何故って、事実は小説よりも奇なりですし、やはり生きている人間の方が怖いという場面は多々あると思うからです。

とりあえず、後者のエピソードから私が言いたいことは、今はもうほとんどの学校で実施されていないかもしれませんが、電話連絡網というものは取りやめた方が良い、ということです。

ではでは、お後がよろしいようで。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)