私たちは日常の中で、「善」と「悪」を無意識に分けている側面がありますよね。
信頼、優しさ、常識——それらが疑われることのない基準として存在する世界に自分は生きていると無意識に思っているのではないでしょうか。
しかし、もしそのすべてが欺瞞だったとしたら?
安心という幻想がどれほど脆いか——そんなことをまざまざと感じさせる映画。
そんな『悪の教典』を今回は紹介していきたいと思います。
映画『悪の教典』概要
映画『悪の教典』は、2012年に公開された貴志祐介氏の同盟小説を原作とした、三池崇史監督による日本の映画です。R15+指定。
あらすじは以下の通り。
蓮実聖司は、生徒から“ハスミン”という愛称で呼ばれ、絶大な人気を誇る高校教師。 学校やPTAの評価も高く、いわば「教師の鑑」とも呼べる存在だったが、それはすべて仮面に過ぎなかった。 彼は他人への共感能力をまったく持ち合わせていない、生まれながらのサイコパス(反社会性人格障害)だったのだ。 蓮実は自らの目的のためには、それが最善の策であれば、たとえ殺人でも厭わない。
学校が抱える様々なトラブルや、自分の目的の妨げになる障害を取り除くために、いとも簡単に人を殺していく。 そして、いつしか周囲の人間を自由に操り、学校中を支配しつつあった。 だが、すべてが順調に進んでいた矢先、小さなほころびから自らの失敗が露呈してしまう。 それを隠滅するために考えた蓮実の解決策。 それは、クラスの生徒全員を惨殺することだった…。
引用元:映画『悪の教典』公式サイト
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映画『悪の教典』のレビュー・感想
表向きは笑顔を絶やさず、生徒や保護者、同僚からの信頼も厚い理想の教師だけど、その裏では綿密に計算された冷酷な殺人計画が着々と進んでいく——。
『悪の教典』は、「人を欺き、操り、排除する」ことに一切の罪悪感を持たないサイコパス教師・蓮実聖司を主人公にした作品なんですが、
何よりもまず伊藤英明さんによる蓮実の表と裏の顔、二面性の演技が徹底されていて、鳥肌が立った、というのが真っ先に出てきた感想でした。
それから、暴力表現の生々しさや血飛沫と絶叫が飛び交う演出はさすが「バイオレンスの巨匠」とも謳われる三池崇史監督作品とも言えると思います。
伊藤英明さん×三池崇史監督の掛け算ヤバい(語彙力の消失)
だからこそ、かなり観る人を選ぶ作品であるという点は付記しておいた方がいいのかもしれませんが……。
個人的には、映画ではあんまり蓮実の心情とか彼が歩んできた背景とかがあまり描かれておらず、彼の動機などへの理解は映画だけでは難しいのかもしれないなぁとは感じたのですが、
(丁寧に描かれていたからと言って真に「理解」することはできないとは思いますが)
人によっては、「なぜ蓮実のような人間が生まれたのか」を想像する余白が残されているとも言えて、より恐怖を掻き立てる効果があるとも捉えられるかもしれません。好みによりそうですね。
ちなみに私は原作の方は未読なので、小説の方ではどれくらい蓮見の心理や背景について描かれているのかわからないのですが、実際どうなんでしょう?
やや話が脱線したような気がしますが、『悪の教典』は確かに、”楽しむ”という表現には馴染まない作品だとは思います。
ただ、自分なら果たして蓮実のような悪に気づくことができるのか?
そして、蓮実のような「悪」をいざ目の前にした時、自分ならどうするのか?
観た後にその問いとともに、なんとも言えないざらつきや重たいものが胸に残る感覚を受け止める覚悟があるなら、ぜひこの映画に向き合ってみてほしいな、と思うような映画でした。
(ちなみに、特に持久力方面に自信がないので、多分私自身は蓮実からは逃げきれないだろうなと思います)
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映画『悪の教典』まとめ
というわけで、映画『悪の教典』を紹介してきました。
ちなみに映画『悪の教典』ですが、Amazonプライム会員はプライム・ビデオで鑑賞することができます。
よかったらぜひこの機会に観てみてください。
この記事を書いた人:藤代あかり(@akarifujishiro)