性別を冠したラベリングはもういらない

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ひととき話題になった、読売新聞オンラインと美術館連絡協議会による「美術館女子」のウェブサイトが公開終了したらしい。

おそらく関係者としては
「これ以上火が広がるのを防ぐため」
の公開終了に過ぎないのではないかと思うけれど、それでもあのまま放置しておくよりはきっとよかったのでしょう。

ただ今回のことを機に、美術に限らず各分野のにおいて、どうして今回の件がここまで批判を受けたのか、その理由と今後について考える事例にはなってほしいと願っています。

私がそう考えるポイントについてここに書き残しておこうと思います。

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「美術館女子」の問題点として指摘された箇所

本題に入る前に、今回の「美術館女子」がどうしてこうも問題視され、批判されるに至ったのかを振り返っておきたいと思います。

ちなみに、今回の「美術館女子」のコンセプトは、読売新聞オンラインと美術館連絡協議会によると以下の通りだったとのこと。

「本企画は、地域に根ざした公立美術館の隠れた魅力やアートに触れる楽しさを再発見していくことを目的として、読売新聞社と美術館連絡協議会が始めたものです。新型コロナウイルスの影響で国内の美術館が一時休館を余儀なくされましたが、アート作品だけでなく、建物を含めた美術館の多様な楽しみ方を提示し、多くの方に美術館へ足を運ぶきっかけにしていただきたいと考えました。」
引用元:https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/22140

上記を踏まえた上で、今回本企画が批判されるに至ったポイントについては「美術手帖」さんのページで整理され、詳しくまとめられているので、確認してみてください。

ちなみに個人的に今回の企画「美術館女子」の公開されていたウェブページまで確認して気になったのが、以下のポイント。

  • 「○○女子」というラベリングそのもの、それが無知な観客の役割=女性に結びついていると感じられたこと
  • “映え”を取り入れるにしても主従がアベコベでコンセプトに合っていない

それぞれ、もう少し詳しく以下に書いていこうと思います。

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「○○女子」というラベリングそのもの、それが無知な観客の役割=女性に結びついていると感じられたこと

「○○女子」「○○女(ジョ)」「○○ガール」

近年こうしたフレーズを目に耳にする日は少なくない。もちろん、女性に対してだけではなく、こうしたラベリングは男性に対してもあって、

「○○男子」「○○メン」

といった表現に出会ってしまうこともあります。

こうしたラベリングを用いる場合、このラベリングを使用する側に、

「男性もしくは女性主体の文化に、これまで主体とされて来なかった異なる性の人々が参入してくる」

という考えが無意識であれ意識的にであれ存在し、それが表に現れた言葉なんだと思っています。

そしてこのことは時に「なので、これまで主体とされてきた性を持つ人々と比べて知識がない」という考えも内包されているケースもあるのではないでしょうか。

実際今回の「美術館女子」に登場していた女性も、美術に関する知識はないという設定がされていて、

「知識がないとか、そんなことは全然、関係なし。見た瞬間の『わっ!!』っていう感動。それが全てだった」
「こんな身近な場所にこれほど贅沢な“映えスポット”があるなんて、どれほどの女子が知っているだろう」

とモノローグで語るシーンもありました。

「美術館女子」と銘打ってしまった以上、本来は性差などなく開かれているはずの美術館に対して、あたかも男性主体の文化に女性が参入してきた、といったような不当なイメージを持つ文脈が生まれてしまい、

そこにさらに「(主体ではなかった性を持つ人なので)知識が(主体だった性に比べて)ない」といった印象を持たれかねない文章を置いてしまった。

それは反発も批判も生まれますよね、というのが今回私が抱いた感想です。

なお、美術界が抱えている男女格差については、以下の記事をご参照ください。

正直にいえば、真に「女性目線」を狙うとしたら、「館長の割合は低いが現場の学芸員さんの4分の3は女性」という側面からアプローチをかけた方がよほど理にかなっていると思うんですけどね。

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“映え”を取り入れるにしても主従がアベコベでコンセプトに合っていない

「本企画は、地域に根ざした公立美術館の隠れた魅力やアートに触れる楽しさを再発見していくことを目的」としていたらしいことから、

今回は「これまでアートに触れて来なかった層」を狙いたくて企画を打ったのだろうと思っています。

では、これまでアートに触れて来なかった層、はどうしたら美術館に足を運んでくれるだろうか?

これは美術に限らず、少しでもその分野に興味を持ってくれている層であれば、あと一押しが必要な場合もあるかもしれないが、ある程度自発的に足を運んでくれる可能性は高い。

けれど、そもそも全く興味すら持っていない、という層にアプローチしたいケースでは、興味を持つ前段階の、とっかかりがどうしても必要になってきます。

今回はジャンルが”アート”だったので、その見た目、美しさや綺麗さをアピールしたくて、それを端的に表すワードとして”映え”を持ってきてしまったこと自体は、まだ理解できる部分かな、と個人的には思います。

もちろん、美術館という場所柄、美術作品に対する知識や理解を促すようなアプローチも必要とはなってきますが、まずはきっかけを持って、美術館に足を運んでもらいたい、という思いが根底にあったのでしょう。

ただ、それでも”映え”を用いるなら、あくまで美術作品を主としなければならなかった。

昨今確かに”映え”を意識して意図的に作られたスポットやメニューなどもあるかもしれませんが、アート作品はそうではないからです。

“映える写真を撮られること”が女性目線とされている、女性の客体化、ということが今回指摘されていて、私もそのことについて全面的に同意するのですが、

主=女性・従=アートという風に見えてしまったこと自体も問題だったのではないかと思います。

せめて、撮影可能な場所で、今回登場した女性自身に、自分が気に入った・感動したアート作品を撮ってもらう、という構図だったなら、もう少し違うとらえられ方をしたんじゃないかと思うのです。

この方法なら、彼女自身がどうであるかはさておき、もしかしたら彼女のファンの中の「これまでアートに触れて来なかった層」にアプローチできた可能性もあったんじゃないでしょうか。

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終わりに

“映え”の取り入れ方については、今回美術館・美術作品が題材となる企画だったことと密接にリンクしている可能性が高いので、他の分野にも当てはまるとは必ずしもいえないと思いますが、

少なからず性別を冠したラベリングについては、今後メディアなどで取り扱われることが減っていけばというのが個人的な願いです。

繰り返しになりますがこうしたラベリングを用いる場合、このラベリングを使用する側に、

「男性もしくは女性主体の文化に、これまで主体とされて来なかった異なる性の人々が参入してくる」

という考えが無意識であれ意識的にであれ存在し、それが表に現れた言葉だととらえられる可能性は十分にあり、

そしてこのことは時に「なので、これまで主体とされてきた性を持つ人々と比べて知識がない」という考えも内包されていると受け取られかねないのだと。

人が何をきっかけにどの分野に興味を示し、親しむかについて、本来性別は関係ないはずだから。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)

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