東京大神宮 チケット・良席運と良縁は本当に両立できないのか?

スピリチュアル・メンタル寄りの話

昨年の今頃、私はこんな記事を書きました。

東京大神宮といえば都内屈指の良縁祈願のパワースポットであるとともに、

『縁を結ぶ』

というご利益が、たとえばソーシャルゲームのガチャ運や、ライブ・舞台などで良席がご用意される、といったことにも発揮される、ということで近年注目されています。

ただ、良席とご縁が結ばれる一方で、いわゆる「良縁」とどちらも叶えることは難しいという説もあります。

でも、本当にそうなのか?

毎年ここにお詣りに行っている私が2019年を振り返りながら、

『良席と良縁、両立できないわけじゃないんじゃない?』

と考えるに至るまでのポイントを本記事では書いていきたいと思います。

※本記事では私の個人的な体験からの所感を書いています。こうしたいわゆる”神頼み”行為についての効能効果には個人差がありますので、その点はご了承ください。

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2019年のチケット・良席運/良縁それぞれの振り返り

チケット・良席運

中通路によって前方後方が分かれているタイプの会場で前方席や中通路に当たる席が取れたり、

演者の方の客席降り、あるいはライブであればトロッコなどが走る場合には通路に面した席が取れたり、

といったことは本年も引き続きありました。

強いて言えば今年は例年に比べると『良縁祈願』に比重を置いたところもあり、

前方席が当たる頻度は減ったか?というのをなんとなく感じたくらいです。

これは統計などは特に取っていない感覚的な話ではありますが。

良縁について

私が今お付き合いしている方は元々大学の先輩であり、昨年2〜3年ぶりに再会してから、一緒に過ごす時間が少しずつ増えてきました。

ただ、長く兄妹のような関係性では合ったもののそれ以上になることはないままここまで(会わない時期もあったとはいえ)干支1周分の期間が過ぎているわけなので、

東京大神宮で願い掛けをする際はなんというか「最後の一押しが欲しいな」という思いで行ったという状態でありました。

さて、今年は私、女性の30代は約半分が「厄年」にあたる、そんな中で迎えた前半戦の「本厄」にあたる年でしたが、

忘れもしないGW明け、仕事前に時間ができてふらっと立ち寄ったのが東京大神宮でした。

そしてその日の仕事で、全治2週間の怪我をするという。

で、私は昨年末でOLを辞めて現在日雇い労働者として生活していることを実家に話しておらず、

そうした事情をも知っている彼に連絡して怪我が治るまで面倒を見てもらったりしていたのですが。

まぁなんと言いますか、文字通りの『怪我の功名』となりまして、現在に至ります。

神様というのはそれが必要なことだったとしたら、時に本当に想定外のことを引き起こしてくれますね。

ちなみにその時購入したお守りは、『鈴蘭寄り添い守』というものでした。

こちらのお守りの由来・効能などは以下の内容です。

ひとつひとつの花が寄り添うように並んで咲く鈴蘭は、「幸福が訪れる」の花言葉に似つかわしく、心に想った人と寄り添いあう幸福をあらわしているようです。その幸せのひとしずくをお持ちいただきたく、鈴蘭の朝露をかたどったお守りを奉製しました。鈴蘭の朝露に願いをそっと閉じ込めてお持ちください。
お札・お守り – 東京大神宮

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良縁を願うに際して思うこと

恋人が欲しい。結婚がしたい。

実際に私自身がそうして来たからというのもありますが、そんな願いの最後の一押しとして神様というか天命に委ねることは悪いことではないと思っています。

ただ一方で、『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があるように、「最後の一押しとして」という部分は大事なのかな、とも感じています。

以前に私は自分の『結婚観』について、以下の記事で書きました。

「30歳」という年が見えて来た20代後半頃、結婚に対して焦る気持ちが強かったこと。

けれどそれは『今の環境から自分を連れ出してくれる魔法』のようなものを求めた結果、それを叶えてくれる手段として結婚を考えたんじゃないかということに気づいた、ということ。

まずは転職してみて、自分で環境を変えた結果、そうした結婚への憧れや願望が消えていたことに気付いたこと。

そんな内容を書いています。

私が東京大神宮を参拝し始めたときはまだチケットや良席に関しても効果がある、といったことを知る前で、

上記のように結婚に焦っていた時期に特に頻繁にお世話になっていました。

出会いが欲しいと願ったことも、両想いになりたいと願ったこともありました。

だけど、結婚に対して『自分を今の環境から連れ出してくれる』ことを求めるような、ある種受身的な人間だったこともあり、

具体的に婚活行動を起こしていたかというと、否、としか言いようがなかったようにも思います。

オシャレを再考するとか、出会いの場に行くとか、友人に紹介を頼むとか、そういうことやってた?っていう。

また、こうした精神で婚活を行なっていると、なんとなく周りでもよく聞くような「こういう結婚相手がいい」みたいな価値観に流されてしまうような気もしています。

わかりやすいところでいえば、年収とか、そういう話ですね。

確かに、ある程度安定して仕事をしていて一定の収入を得られていることというのは大事だとは思いますが、
(いつリストラされるかわからない世の中であるというのは置いておいて)

果たして、高い年収を稼いでいる相手、というのが本当に自分に絶対必要な条件なのか?っていうのはありますよね。

ブログを力を入れてやっている人であれば一度は目にしたことはあるであろう

「月収100万が目標です!!」

と同じような感じでしょうか。

本当に月収100万も必要??っていう。

私の場合は、そもそも本当に結婚したいの?というところからの見直しになってしまいましたが(笑)

世の中には「引き寄せの法則」といわれるものがありまして、私はこうしたものはあると信じている方ですが、

結局自分がきちんと具体性を持ってその願いを叶えている未来を想像できないと、その夢を引き寄せることってできないんですよね。

あまり想像力が豊かではない私にとっては、自分が月収100万円稼いでいる姿も、めちゃくちゃ稼いでいる旦那さんと結婚して優雅な暮らしをしている自分も想像できませんでした。

ピンと来ないんですよね、そういう環境においている自分というものが。

だから、自分には特に必要のないものなんじゃないかな、と感じています。

ただ、結婚は、自分の環境を劇的に変えてくれるような魔法ではないですし、

また、そういう魔法のようなものが外からもたらされなくても、自分が身を置いている環境は、大なり小なり自分自身で変えることができるんじゃないでしょうか。

で、それでもやっぱり結婚したいって思う理由とか、その時にどんな相手がいいのか、とか。

そういったことは今一度、自分に問いかけなおしてみる必要はあるんじゃないかと感じています。

周りの友人たちが結婚し、幸せそうにしていたり。

両親や親戚などから、結婚についてせっつかれたり。

結婚したいな、と考えるきっかけは色々あるでしょう。

その「結婚願望」は本当に心からの願いなのか?

結婚したい、その理想の相手として抱いているイメージは本当に自分にとって必要な要素で構成されているのか?

最後の一押しの天命の前に尽くす人事には、具体的な婚活行動だけではなくて、そうした自分の思い・考えを見直す、ということも含まれているんじゃないか。

何年も前から通った場所で、出会いや恋愛成就を何度も願いながら今年まで一度として叶って来ず、

私にとってはご利益を期待できない場所なんじゃないか、ということも幾度となく考えましたが、

今年を振り返ってみて、今はそんなふうに感じています。

東京大神宮 チケット・良席運と良縁は本当に両立できないのか?まとめ

というわけで、東京大神宮でチケット・良席運と良縁という二兎を追ってみた結果、どちらも得られた、という私自身の体験をここまで書いて来ました。

来年からは良縁祈願は必要なくなるかもしれませんが、引き続き良席とのご縁は欲しいので(笑)

よほど遠方に引っ越すようなことでもない限り、変わらず通うことになると思います。

どちらかあるいは両方か、ご縁を結ぶために東京大神宮へ参拝を予定されている方に、ご利益がありますように。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)