先日Twitterのタイムラインを眺めていたらこんな記事を見かけまして。
「ネコ好きは無神論者」「神に求めるものをネコで代用している」という研究結果
1人の猫好き(ただし飼えない)として興味をそそられたので読み進めたのですが、
読むにつけ、「日本人の場合でもこれは当てはまるのかな?」という疑問が湧いたので、記事を書いてみようと思った次第です。
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宗教に熱心な人=社会的相互作用という図式
「社会的相互作用」とは何だろうか、というところから始めなければならない気もしますが、非常にざっくりと言い表すならば、
「人が自分以外の他者と関わり、対話や行為に対する反応を得ながら生きている姿」
を指しているといえると思います。
自分ひとりきりで部屋に閉じこもり続けているのでもない限り(それでも家族と住んでいれば家族との関わりが多少はあるでしょうけれど)社会的相互作用はゼロではないはずですが、その機会の大小・多い少ないには、今回の研究結果も関わってくるのかもしれません。
というわけで、研究結果について、本文から引用していきたいと思います。
オクラホマ大学で社会科学・宗教学などについて研究しているサミュエル・L・ペリー氏が率いる研究チームが、2000人のアメリカ人を対象にペット所有に関する調査を実施しました。調査の結果、週に1回以上教会へ行き礼拝すると回答した「宗教に熱心な」人は、平均して1.4匹のネコを飼っていることがわかりました。それに対して、教会へ礼拝に行く習慣のない「無宗教」な人は、平均2匹のネコを飼っていたそうです。
引用元:「ネコ好きは無神論者」「神に求めるものをネコで代用している」という研究結果
私は幼少期にアメリカに住んでいたことがあり(詳しくは「10歳の頃、あるいはワールドワイドかもしれない話」をご参照ください)
その際に近所に住む熱心な子に誘われて一度日曜日の礼拝に行ってみたこともありました。
そこは礼拝だけではなく、神父様のお話を聞く時間というのも設けられていた場所だったので、飽き性で座学があまり好きではない私は、罰当たりな話かもしれませんが今回限りでいいや、と思った記憶があります。
(後にいわゆるミッション系の学校に通ったことによって、そもそも自分と宗教観が合わない、という気づきを得ることにもなったのですがそれはまた別の話ということで)
ただ、その当時の経験もあって、なんとなく、信仰が多くの人に根付いている国ではある、ということは納得します。
確かに幼い頃から当たり前の事として、日曜に礼拝に行くということが習慣づけられている、ということにはなるのですが、
大人になっても通い続ける人たちにとってはそれは強制ではないんですよね。自分の意思で行なっていることなのです。
研究結果の内容には以下のことも書かれていますが、
ペリー氏によると、教会に足繁く通う熱心な人は、活動の中で適切な社会的相互作用を得るそうです。それに対して、無宗教な人は社会相互作用に飢えているため、手間のかかるネコを好む傾向にあるとのこと。
引用元:「ネコ好きは無神論者」「神に求めるものをネコで代用している」という研究結果
信仰心により礼拝へ通うことの習慣、が、習慣的な社会や他者とのつながりの一つの糸口となっている、という点も、納得できる内容なのではないでしょうか。
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日本と宗教と社会的相互作用の関係
ハロウィンに仮装してみたり、クリスマスで盛り上がってみたり、かと思えば初詣に行ったりもする。
今回の記事で紹介されている研究結果が出たアメリカと比べると、キリスト教に限らず特定の宗教だけを熱心に信仰している日本人というのは、人口の中の比率で考えると少ないかもしれません。
とはいえ、いろんな宗派の仏教を取り込んでみたり、キリスト教を取り込んでみたりして来た日本ですが、それよりもさらに前は八百万の神々が住まうといわれる国だったわけです。
何せトイレにもトイレの神様がいる国です。
ただ一人の存在を神と仰ぎ、その方に祈りを捧げるために集う、といった習慣が日本に根付いていなくても、ある意味納得ではあります。
なので、継続的な社会的相互作用を保つ=自分と他者・社会との関係をつなぐ習慣的な方法、の中に、宗教や信仰心があまり含まれてこなかった、という見方もできるかもしれません。
これは私見であり、明確な根拠などはないのですが、もし仮に今回の検証を日本で行なった場合、「猫を何匹飼っているか」と「熱心な信仰心があるかどうか」との間に、強い因果関係は見られない、という結果になるのではないかとも思うのです。
社会や他社との継続的な関わりを保てる習慣を持つということ
日本はこれから、もっともっと高齢化社会が進んでいくといわれています。
そんな時に考えたいことの一つに、社会や他者との継続的なつながりを保つこと、があると思います。
今は家族や配偶者と過ごしていても、長く生きていく中で最後はひとりきりになってしまうというケースも多く発生するでしょう。
要は、孤独死を避けるための方法を考えた時に、この社会的相互作用を保っていくこと、というのがひとつの大切な課題となってくるわけです。
これはどちらが優れているとか、そういった話ではありません。
ただ、そうした意味では、何者に強制されることもなく、毎週決まった日時に礼拝へ通うということも、素敵な習慣なのだと思います。
とはいえ、そうした習慣を持つ方が大多数側とはいえない日本においては、その分減ってしまう社会とのつながりが継続的に保てる場所を見つけて行く必要があるのかもしれません。
そんなことを、ふと今回の記事を読んで考えてみた次第です。
なお、ここからは完全に余談ですが、可愛い=正義、なのだとしたら、猫=正義でもあると思います。
というわけで、これからもお猫様の可愛さについて布教活動をし続けていきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)