映画「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」 将軍として生きようとした結果たどり着いた悲しみの物語

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今回は「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」という2012年に公開された映画と、その原作であるよしながふみさんの漫画「大奥」についてレビュー・感想などを書いていきたいと思います。

この映画は徳川第5代将軍・綱吉の時代を描いた作品ですが、この「大奥」という作品が「男女逆転」と言われるようになった発端の時代である3代将軍・家光の時代を描いたテレビドラマの続編にあたります。

なお、本作「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」はAmazonプライム・ビデオなどで視聴することが可能です。

「大奥」原作の全体的な世界観・あらすじ

物語の舞台は、日本の江戸時代をモデルとした世界。

3代将軍・徳川家光の時代に、関東のとある田舎村で熊に襲われた少年をきっかけに「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」とのちに呼ばれることになる奇妙な病が日本全国で広がります。

この赤面疱瘡(あかづらほうそう)の特徴は、「若い男子のみが感染する」「ひとたび感染すれば致死率は80%」というもの。

有効な対処・治療法が発見されないまま急速に広がったこの病により、日本の男子の人口は女子の約1/4まで減少してしまいます。

その結果、これまでの日本の社会構造は激変することとなり、将軍である徳川家も、本物の徳川家光が亡くなったことをきっかけに女子が将軍職を引き継ぐことになっていきます。

今回紹介する映画「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]は、将軍職を女子が引き継ぐことになってから2代目。家光の子である、5代将軍綱吉の時代の話です。

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5代将軍綱吉の時代 あらすじ

赤面疱瘡(あかづらほうそう)という病が日本中に広まり、男子の人口が減少。将軍家を筆頭に、女子が家督を継ぐことがすっかり定着した5代将軍・綱吉の時代。

彼女は側用人の柳沢吉保とともに政治的な手腕を発揮するともに、男女問わず魅了し、翻弄する愛くるしくも妖艶な美貌を武器に、男性関係には奔放な一面も持っていました。

そんな綱吉の正室・鷹司信平が側室候補として連れて来たのが、この時代のもう1人の主人公である右衛門佐。

右衛門佐は貧しい公家出身の青年で、生家の貧しさと都の退屈さから、翌年に自分がお褥すべりの年齢に達する(側室としての役目を果たせるのは35歳までと決まっていた)ことをわかっていながら大奥に入った、少々野心的な側面もある男でした。

そんな右衛門佐ですが、初対面から綱吉に魅了されました。しかし、そうであるがために、彼女と対等に渡り歩く道を選び、年齢を理由に側室となることを辞退します。

男女関係より権力を望んだ右衛門佐は「曲者」と気に入られた代わりに望み通り、有功以来空席であった大奥総取締役の地位に就任します。

そのことと時を前後して、綱吉にとっては唯一の世継ぎであった松姫が急死してしまいます。

娘を喪った悲しみに暮れる間も与えられず、綱吉は再度お世継ぎをもうけることを迫られることに。

そしてこれがきっかけで父の桂昌院や右衛門佐、そして彼等の子飼いの側室たちによる、綱吉の寵愛と権力を巡る争いが激化していきます。

母・家光(千恵)の早世により、幼い頃から自分に惜しみない愛情を注いでくれる唯一の存在であった父・桂昌院の意向をどうしても無下にすることができなかった綱吉は、閉経を迎えてもなお、若い男を囲い続けることになります。

そんな綱吉の江戸市中での評判は、赤穂事件や生類憐みの令のこともあって下落。

善政を布くことも、世継ぎをもうけることもできなかった自分はなぜ生きているのか。

悪政を布く統治者は裁かれると聞くのに、どうして誰も自分を殺しに来ないのか。

自害すら辞さない綱吉の嘆きに対して、
右衛門佐は、

「女と男の関係は子をなすことだけではない」

と説き、その夜右衛門佐と綱吉は結ばれます。

この一夜をきっかけに綱吉は父の呪縛を断ち切ること、次代の将軍には父が嫌い、反対していた綱重の子・家宣を指名することを宣言します。

しかし、この直後に右衛門佐は急死。

その後、父の桂昌院もこの世を去り、綱吉も麻疹に倒れ危篤状態となってしまいます。

病床に伏せる綱吉の元を訪れたのは、側用人の柳沢吉保でした。

そして、彼女はこれまでずっと心に秘めてきた、主君に対する忠義以上の綱吉への想いをを告白しながら、綱吉を窒息死させます。

綱吉の死は公には麻疹によるものとされました。

そうして彼女を手にかけた柳沢吉保は、6代目の家宣が将軍に就任したことに伴って、江戸城を去っていきます。

史実と「大奥」

赤面疱瘡(あかづらほうそう)という病と、それによって世の中での男女の立場が逆転している、ということ以外は、各時代に沿った歴史上の人物や、著名な事件・政策などが随所に登場します。

5代将軍綱吉の時代でいえば「赤穂事件」「生類憐みの令」が代表的なものでしょう。

特に後者の「生類憐みの令」の発令に関しては、松姫の死後、新たに世継ぎをもうけようとせずに父が嫌っていた綱重の子・家宣を指名することもできたのに、

それでもどうしても父には見捨てられたくないという彼女の強い思いが現れた結果のひとつとして、キーになる法令として登場しています。

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映画版「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」のレビュー・感想

私もまた「綱吉に恋をした」

右衛門佐役は堺雅人さん、綱吉(徳子)役は菅野美穂さんという配役で、2012年に映画化されたのが本作。

お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、堺雅人さんと菅野美穂さんが後にご結婚されたのは本作がきっかけです。

しかしながら、綱吉役を菅野美穂さんにした、というのが良かったなぁ、と映画を観てすぐにそんな感想を抱いたことを今でもよく覚えています。

原作が持つ綱吉の特徴である、男女ともに魅了するチャーミングさも妖艶さもそうなのですが、

母として将軍としての芯の強さや懐の深さ。それでいながら松姫亡き後に悲しむ間も無く、世継ぎの問題というプレッシャーを受けて心のバランスを崩していく綱吉の脆さ。

そうした「綱吉」を体現するいろんな側面が、余すところなく表現されていて、一視聴者として「綱吉」に魅了されてしまったんだなぁと思ったりもしました。

原作でも柳沢吉保の言葉で、

「皆が上様に恋をしているのです」

といわれていますが、綱吉という人物像を表現するのに、かなりピタリと来る言葉ですからね。

ちなみに私がこの5代将軍・綱吉編の中で最も好きなのが、綱吉と右衛門佐が一夜を共にする直前のシーン。

「何が将軍だ!!若い男達を悦ばせるために 私がどれほどの事を床の中で覚えてきたか、そなたにはわかるか!?将軍というのはな、岡場所で体を売る男たちよりもっともっと卑しい女の事じゃ」

特に印象的なのが、綱吉のこのセリフです。

自分が多くの人を虜にする魅力を持っているか、本人は知ってか知らずか、奔放な男女関係を築いてきた頃も綱吉にはありました。

しかし、松姫を亡くし。
父に見捨てられたくないがために、彼の意に沿わない後継ぎを立てることもできず。

また本来は聡明な彼女は、この後継問題に注力せざるを得なかった関係で、治世の上でも結果を残すことができず。

母・家光が、愛するものとだけ世継ぎをもうけることができず有功と引き裂かれたのとは別の形の悲しい運命は、原作の中でもやはり指折りのエピソードだなと感じています。

また、映画では綱吉が慟哭するこのシーンがスクリーンの中で見事に再現されていて、鳥肌が立ったのを覚えています。

なお、余談ですがこの映画の撮影を振り返った右衛門佐役・堺雅人さんのインタビューをシェアしたいと思います。

菅野美穂さんの魅力が垣間見られて、とても興味深い記事です。

父・桂昌院の呪縛

綱吉の背景を語る上で外せないのが、父である桂昌院。そして、彼の願いによって発令された「生類憐みの令」でしょう。

父・桂昌院は3代将軍・家光の死に際して出家する前は、玉栄(お玉の方)という名でした。

玉栄は幼い頃に有功に拾われてからは慶光院→大奥、とずっと彼に付き従い、自分自身では家光に世継ぎを生んでもらうことができない有功たっての希望に従って、家光の側室になった男です。

このことは、2つの、後々まで引きずる要素を孕むことになります。

まずひとつ目は、玉栄が女性の体の仕組みに関して、あまりにも知識が乏しいという側面。

このことがあって、娘の徳子(綱吉)が子どもができにくい体質であることや、そもそも女性はいずれ、子どもを産むことができない体になっていくことを知ることなく、だからこそいつまでも綱吉に夜伽を続けるようにと乞うことになるのです。

そして、もうひとつの要素は、玉栄のあまりの有功に対する忠義心にあります。この要素は、6代将軍に家宣を据えることに反対する玉栄の姿勢、そして「生類憐みの令」発令の原因を生むことになります。

まず、家宣を6代将軍に吸えることに反対していた理由ですが、それは自分自身では家光との間に子を成すことができなかった有功が玉栄を家光の側室にしたことを軽蔑する発言をした溝口左京(お夏の方)に対する敵意から生まれています。

玉栄はこの当時の恨みをずっと引きずっていました。そのことで、お夏の方と家光との間に生まれた娘の子である家宣を、綱吉が自身の後継・6代将軍となることを強固に反対するに至ったのです。

そして、さらに遡ると、有功とともに玉栄が大奥入りを果たして間もない頃。

有功より先に大奥入りを果たしながら家光の寵愛が受けられず、そのことに嫉妬した角南重郷という男を筆頭に、有功に対する卑劣なイジメが行われていました。

玉栄はそんな角南重郷を陥れるために、家光が有功に賜った猫を殺害。その罪を角南重郷になすりつけます。
(将軍から賜った生き物を殺したわけなので、死刑になるわけですね)

そして、綱吉がなぜ世継ぎに恵まれないのかと懇意にしている僧侶に相談した際、過去のこの「殺生の罪」について指摘された桂昌院は、

その対策として、生き物を大切にすること、綱吉の生まれ年にちなんで特に犬を大切にすることをアドバイスされます。

それが、「生類憐みの令」発令の発端となったわけです。

その他、原作と映画版の比較

映画化に際してはテレビドラマ版同様、ほとんど原作に忠実に映像化されていますが、

原作が綱吉の死まで描いたのに対して、映画版では、右衛門佐と一夜をともにした後、父の呪縛から解き放たれ、自分の後継を家宣とすることに決めたこと、

急死してしまった右衛門佐の元に、そうとは知らない綱吉が向かうシーンで終わっています。

このラストの変化に伴って、柳沢吉保が綱吉に手をかけてしまうシーンも変更されます。

映画版では、最後に右衛門佐の元に向かう道中の綱吉に出会った柳沢吉保が彼女を呼び止め、お化粧なおしをする場面が入るのですが、

その際に柳沢吉保が綱吉の首に手をかける描写が登場します。

この時の綱吉は柳沢吉保のその行動に対して抵抗はしないのですが、

結局途中で諦めてしまった柳沢吉保に対して、「苦労をかけた」と口にします。

これまで綱吉の最も側で彼女を見守り、寄り添ってきた柳沢吉保にとっては、その時の綱吉の、今まで見たことがないような表情に、主君に対する忠義以上の想いへの答えを見出してしまったのでしょう。柳沢吉保は泣き崩れてしまいます。

右衛門佐と綱吉が中心の物語であることを考えると、映画の終わり方としては綺麗なまとめ方かな、と感じています。

この記事内では多くは語りませんでしたが、柳沢吉保の綱吉への想いもまた、この時代のストーリーの中では重要な要素の一つです。

右衛門佐と綱吉が中心の物語の中で、彼女の想いとともに、綱吉を手にかけようとした描写がスルーされなかったことが何よりよかった、という思うのです。

また、柳沢吉保と分かれた後、綱吉が一人で大奥へと続くお鈴廊下を走り抜けながら打掛を脱ぎ捨て、婚礼衣装を思わせる姿で右衛門佐のもとへ向かう姿。

そしてその頃、右衛門佐の部屋子であった秋本が、机にもたれたまま動かない右衛門佐を発見し、そこに姿を現した綱吉の笑顔のアップでエンドロールに切り替わるというラストシーンについては、

「大奥」の原作を連載している「Melody」という雑誌の紙面上で掲載された原作者のよしながふみさんと堺雅人さんとの対談の中で、

「原作の中では残酷な場面として描いたこのラストが、映画では肉体の軛(くびき)から解き放たれたハッピーエンドに変化している」

と2人が捉えていること、映画という2時間の枠の中での綱吉と右衛門佐の2人の物語としては「いいラストだ」と語っていたようです。

「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」まとめ

というわけで、ここまで映画「大奥〜永遠 [右衛門佐・綱吉編]」について紹介してきました。

この映画自体がオススメなのはもちろんですが、原作漫画もとても面白いので、機会があったらぜひ読んでみていただきたいです。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)