映画『プライベート・ライアン』 ソウル・サバイバー・ポリシーに思いを馳せる

映画

夏に、というよりも8月になると、終戦記念日があることから、普段より「戦争」について、頭の片隅ででも意識する機会が生まれる、という人も多いのではないでしょうか。

今回はアメリカの映画ではありますが、『プライベート・ライアン』という、第二次世界大戦中に行われたノルマンディー上陸作戦を題材とした映画を紹介したいと思います。

映画『プライベート・ライアン』概要

『プライベート・ライアン』基本情報

『プライベート・ライアン』は1998年に上映されたアメリカ映画で、第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦を舞台とした、スティーブン・スピルバーグ監督の作品のひとつです。

主演はジョン・ミラー大尉役のトム・ハンクスさん。
また原題である”Saving Private Ryan”を直訳すると「兵卒ライアンの救出」という意味になるのですが、この救出されるライアン役はマット・デイモンさんが演じています。

ちなみに、「ノルマンディー上陸作戦」とは、正式名称を「ネプチューン作戦」といい、1944年6月6日に連合軍が行なった、ドイツ軍に占領されていた北西ヨーロッパへの侵攻作戦のことを指します。

なお、ノルマンディー上陸からパリの解放までの作戦全体の正式な名称は「オーヴァーロード作戦」です。

なお、映画『プライベート・ライアン』のあらすじは以下の通りとなります。

1944年6月。連合軍によるフランス・ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。そんな中、オマハビーチでの熾烈な攻防を生き延びたジョン・ミラー大尉に新たな命令が下された。ひとりの落下傘兵を戦場から救出せよ。その兵士、ジェームズ・ライアン二等兵には3人の兄がいるが、この一週間の間に全員が死亡。兄弟全てを戦死させる訳には行かないという軍上層部はひとり残されたライアンをなんとしてでも故国へ帰還させようと考えたのだ。ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのであった……。
引用元:映画 プライベート・ライアン(1998)について 映画データベースall cinema

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『プライベート・ライアン』のレビュー・感想

Sole Survivor Policy(ソウル・サバイバー・ポリシー)について

まず、この『プライベート・ライアン』という映画に関して、こんな疑問が浮かぶ人も多いのではないでしょうか。

「そもそもライアン二等兵はどうして救出されることになったの?」

答えとしては、アメリカ軍に、「Sole Survivor Policy(ソウル・サバイバー・ポリシー/唯一の生存者規定)」という規定があるため、ということになります。

この規定は、兄弟全員が出征している場合に全兄弟の戦死を避けるために設けられ、

他の兄弟たちが皆戦死してしまった際には、最後の1人は任を解いて本国に帰還させなければならない、といった内容になっています。

規定設立の背景には、第二次世界大戦中に巡洋艦ジュノーに乗船していたサリヴァン家の5人兄弟が、巡洋艦の沈没によって全員戦死してしまったこと、

またボルグストロム家の4人兄弟が同じく第二次世界大戦中、わずか半年の間に全員がそれぞれの出征先で相次いで戦死してしまったという2つの事例がありました。

映画に登場するライアン二等兵の場合も、3人の兄たちが皆戦死してしまったためにこの規定の対象となったということですね。

なお、このライアン兄弟にはナイランド兄弟というモデルがいて、実際に「Sole Survivor Policy(ソウル・サバイバー・ポリシー/唯一の生存者規定)」によって末の弟が本国に呼び戻されています。
(のちに別の兄弟の1人が捕虜として生き延びていたことが判明しますが)

ただ、映画のライアン二等兵のように、ナイランド家の末の弟を救出するための特別部隊が組まれたという事実はないようです。

映画のレビュー・感想

この映画は、ライアン二等兵の救出部隊を演じた俳優さんたちにクランクイン前にブートキャンプ同然の訓練を10日間受けさせたり、

エキストラに約250人の本物の兵士を起用したり(アイルランド陸軍の協力があった)、臨場感を出すための撮影方法や、銃声・兵器・車両については可能な限り本物を使用するなどかなりこだわりをもって撮影されています。

だからこそこれまでにない戦争映画として、かなり高く評価されている作品でもあります。

なので、そうした描写に対して自分には耐性がないかも、と自信のない方にはオススメしにくい作品でもあるのですが……
(比較的耐性がある方だと自負していますが、鑑賞後だいぶ圧倒されてしまったので)

ところで、今回の救出作戦の指揮官であるミラー大尉も疑問に思う、

「今までは部下が死ぬたびに”部下1人が死んだのはその10倍の人を救うためだった”と納得してきた。でもこの任務は違う。1人の人間を救うために、7人の部下を危険にさらして良いのか?」

この問いに対する明確な答えのようなものは、この映画には用意されていないように感じました。

でも、この「答えのなさ」が、一個人からみた戦争、なのではないかとも思うのです。

何かを成し遂げた、名誉の、といった冠言葉のない「死」。ハリウッド映画にありがちなヒロイズム的な要素もない。

敵も味方も、少なくとも末端の兵士は、故郷の家のドアを開けて、迎えてくれる家族に”I’m home!”と言いたい。

大局的に見れば大義名分としては何かがあったのかもしれませんし、そしてそれを胸に戦地へ赴いた人もいたのかもしれません。

ただ、ミラー大尉の言葉を借りるなら、

「一人殺すたびに故郷が遠のく気がする。ライアンなんかどうでも良い。ただ、この任務を全うできたら、自分は妻の元に胸をはって帰れる気がする」

“成し遂げる何かが見えない(見えにくい)以上自分の中でそういうものを持っていないと”

その場に立っていられなかったという人もまたそれ以上に多かったのではないか。

戦争映画を観るにつけ、どうしても感想として戦争の悲惨さ、無意味さを改めて感じた、といった趣旨のことを口にしてしまいがちなのですが、
(それは決して間違っているとかではないのですが)

またひとつの側面から考えさせられる作品であったことは確かです。

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映画『プライベート・ライアン』まとめ

というわけで、映画『プライベート・ライアン』を紹介してきました。

ちなみに『プライベート・ライアン』ですが、字幕版・吹き替え版ともにAmazonプライム会員はプライム・ビデオで鑑賞することができます。

よかったらぜひこの機会に観てみてください。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)