仕事だけに生きられなかった私の話

働き方について

2017年に多発性骨髄腫という血液のガンを発症し、医師からあと3年の余命を宣告されたという、写真家・幡野広志さんの以下の記事。

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こちらを読んでいて思い出したことがあります。

「私は私の残業をすべて従量課金制にしたい。数字として、コストとして、”見える化”したいんです。だから、私をアルバイトにしてください」

これは、かつて私が所属していた会社で、正社員からアルバイトに雇用形態を変えて欲しいと訴えた時に口にした内容です。

※この記事は会社員や正社員といった働き方を否定する意図で書かれたものではありません。
※主語がでかい!と捉えられかなねい表現ももしかしたらあるかもしれませんが、この記事は全て「私の場合は」という一個人の感情による内容となっています。

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そもそも自分は仕事しかない、という生き方ができない人だった

大学生も後半、就職活動を始めるにあたって、自己分析をするよりも前から私にはひとつだけ、自分のことでハッキリとわかっていることがありました。

それは、おそらくどんなに背伸びをしても自分は「ライフ=ワーク」か、それに限りなく近いような生き方はできない、ということ。

その根底には、
「自己実現や自尊心の拠り所を一つの物事に集約させたくない」
という思いもあったように、今は感じています。

たとえば私に合った、長く働き続けたいと思うような会社に出会えたとしても、様々な要因からいつかはその会社からは離れることになります。

私は女性なので、結婚や出産といったライフステージの変化によって、働き方が合わなくなるかもしれない。冒頭紹介した幡野さんのように病に倒れるかもしれませんし、いつの時代も失職の可能性もゼロとは言い切れません。

それに、たとえ同じ会社にずっと健康に在籍できていたとしても、いつかは定年を迎えることになりますよね。

その時、自分には仕事しかない、という生き方をしていたらどうなるでしょう。そのたった一つの場所を失ったら、自分自身の在り方を喪失することにもつながるのではないでしょうか。

自己実現というほどのものにはならなくても、熱中できるもの、自分の居場所は仕事以外にも持ちたいな、という思いがあったのです。

「たまごはひとつのカゴに盛るな」

というのは株式相場の世界で先人たちが経験に基づいて残した格言のひとつですが、要するに、自尊心や自己の精神の健全なバランスを保つためには、リスク分散じゃないけれど、支柱をひとつに絞らない方がいいのでは、と考えていたのです。

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転職の成功と失敗、それから決意

冒頭の台詞を口にすることになった会社は私にとっては2社目だったのですが、わりと転職してすぐの段階で、ここは合わないだろうな、と感じてはいました。

おそらく私が在籍していた会社(2社)どちらも社長が立ち上げたいわゆるベンチャー企業だった、というのもこの雰囲気に拍車がかかった要因だったのだと思うのですが、

「長時間労働=頑張っている」

の風潮が生きていた会社でもあった、ということがひしひしと感じられたからです。

特に2社目は中途採用しか行なっておらず、20代後半で入って来た私は超若年層だったので、

自身の若い頃どんなに働き詰めだったか。苦労したか。仕事で得るものは多い。だから若い頃は多少の無茶はすべきだし、若い頃こそ苦労すべきだ。

という社長の仕事論を聴く役の筆頭だったことも大きいでしょう。

一応、同じように裁量労働制・月何十時間までの残業代は込み、という給与体系の会社へ転職した中で、利用状況はさておきフレックス制も導入されていて、コアタイムに勤務さえしていれば、という状態でしたし、

残業が深夜労働の時間帯に差し掛かった際に深夜手当が出る、といったある種当たり前のことが整っている会社でもあったので、

最初の会社で残業青天井状態で疲弊していた私にとって、2社目への転職は、一面においては成功だったと言えます。

そして2社目は、正社員だけでなくアルバイトも採用している会社。もしフルタイム勤務が難しくなったとしても、何かあった時に離職より先に雇用形態の変更が相談できるかもしれない。

この転職失敗したかもな、と思ってすぐにそんな考えを抱き、その後約4年間温めたアイデアが実行に移されたのが、冒頭紹介したあの言葉が生まれた背景だったのです。

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雇用形態の変更・退職という選択肢

朝早くから夜遅くまで就業している人に対する
「頑張ってるね」。ほとんど定時で帰ろうとする人への冷たい目。社長からの若人にとっての仕事とは論。

「あなたが自身のライフワークとして仕事が好きなことはわかった。否定するつもりもない。だけど、私を巻き込まないで欲しい」

という思いと、その他の様々な要因を少しずつ溜め込みながら4年を経て、ついに心の不調から身体がいうことをきかなくなってしまった時に私は最初のアルバイトへの雇用形態の変更を相談したわけですが、まぁなんといいますか引き止められました。

特段結婚の予定もない独り身。正社員の方がいろいろ安定しているのは目に見えていて、一度変えてしまうとそう簡単には正社員には戻れないんだということも併せていろいろ言われました。

こちらもさすがに最初は「残業をコスト化したい」とまでは口にしなかったので、「じゃあ休みます」と1年間の休職に踏み切りました。

そして、復職の際に改めて雇用形態の変更を、冒頭のようなもっと強い言葉で要求。この時は正直、ダメなら退職でもいいかな、と思っていたんですが、渋々ながら受理されまして。

でも結局、コスト化したところで、それまで通り残業することには変わりなかったんですよね。私の残業が変動するコストになるのなら、多少はコストカットに動く流れになってくれるのかな、という思いがあったのですが、甘かった。

なので、やはり復職後も長くは続かず、この会社も退職するに至りました。

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仕事だけに生きられない人が生きやすい世の中に

こうして2社目を精神を磨耗して体調を崩して辞めてしまった後、結局今に至るまで正社員として再度働こうという気持ちは起きませんでした。

その代償として生活の安定感は欠いたし、新型コロナウィルス禍でけして余裕がある状態ともいえません。

ただ、一分一秒でも自分の時間を確保するためにどんなに業務効率化を測っても、
(そもそも部署内の業務効率化に向けたツール等の開発が私の主だった仕事でもあった)

顔合わせと対話していることを主目的とした会議や、つながりや結束、仲の良さをはき違えたムダなコミュニケーションの多さといった、自分ではどうともしきれなかった要因に阻害されたこと。

「ライフ=ワーク」
と生き生きしている人たちに、熱烈にその生き方をオススメされ、どうしてそんな風に生きないのかと説かれることもなくなり、

自分のペースでご飯を食べて趣味に興じることもできる最低限の収入を得ながら日々を暮らすことができている現在、

疲れていた心も癒されて、一時はハードワークによってロイヤルストレートフラッシュできるくらい集めていた近隣の各診療科目の病院診察券も処分することができています。

世間の目にどう映ろうとも、今が一番呼吸がしやすく、精神的にも肉体的にも、調子がいいと胸を張れる状態にもなりました。

気力体力が消耗している間はその元気が残されておらず寝てばかりだった休日も、再び趣味に興じたりと充実した日々を送ることができています。

この記事は、特に具体的な”仕事術”に書いたものではありません。

リモートワークの普及とか、効率的な働き方とか、ワークライフバランスとか、働き方改革とか、そうしたことは有識者の方々であったり、それぞれの企業が各々に合った方法を模索し、見つけ、進めていってくれればと思っています。

ただ、方法論としての働き方を見つけていく先で、
「ライフ=ワーク」
ではない人たちが、そういう人たちもいるよね、ともっと受け入れられ、働きやすく、生きやすい社会になればいいと願っています。

あるいはそんな会社と出会えていたなら私も
「私の残業はこれだけのコストになっている!コスト削減したいと思いませんか?!」
などという、今考えてみれば結果として脅しにもならないような台詞とともに自分の時間を守らなければ!と躍起にならずに済み、今もなお会社員として働いていたかもしれない、と、思うのです。

また、ライフとワークがゼロ距離状態を理想とする方々に熱烈にオススメされない環境だったなら、もしかしたら私の中でもライフとワークの距離がもう少し近づいたのかもしれないな、とも思います。

突き詰めてみれば単なる天邪鬼なのかもしれませんね。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)