まずはじめに、本記事内において触れることになる故人の方のご冥福を心よりお祈りしております。
なお、本記事を書くことの目的については、
「インターネット等の書き込みに関して規制をかけることには賛成できるが、せめて同時並行的にメディア側についても適切な規制をかける必要があるのではないか」
といった考えを書き残さんとすることにあります。
個々人の方の死について言及することが主目的ではないため、外部の記事を引用する際以外は極力それぞれの方のお名前を挙げないようにしているのはそうした理由からです。
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世界保健機構(WHO)によって作成されたメディア関係者に向けた手引き
直近の俳優さんの死去に関する第一報が流れた頃から目にする機会が増えた厚生労働省のホームページにも記載されているWHO作成のメディア関係者向けガイドラインですが、こちらにも改めてURLをシェアしておきます。
重要ポイントを抜粋すると以下の通りです。
やるべきこと
・どこに支援を求めるかについて正しい情報を提供すること
・自殺と自殺対策についての正しい情報を、自殺についての迷信を拡散しないようにしながら、人々への啓発を行うこと
・日常生活のストレス要因または自殺念慮への対処法や支援を受ける方法について報道すること
・有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること
・自殺により遺された家族や友人にインタビューをする時は、慎重を期すること
・メディア関係者自身が、自殺による影響を受ける可能性があることを認識すること
やってはいけないこと
・自殺の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと
・自殺をセンセーショナルに表現する言葉、よくある普通のこととみなす言葉を使わないこと、自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと
・自殺に用いた手段について明確に表現しないこと
・自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと
・センセーショナルな見出しを使わないこと
・写真、ビデオ映像、デジタルメディアへのリンクなどは用いないこと
特に速報的な記事・メディアにより、「やってはいけないこと」に抵触する内容が見られ、本来載せることが推奨されている相談窓口等の情報の記載が行なわれていないものもチラホラあったように思います。
インターネット記事などは特にプッシュ通知をはじめとした限られた文字数、サムネイルの中でいかに関心を引き、記事を読んでもらうかの駆け引きが常日頃から行われているため、それが今回の事件においても出てしまったのではないかとも考えられます。
故人の方、個人の方の尊厳を無視した報道
今回の件は特にその亡くなり方を巡って手引きが用意されるほど配慮が必要、ということもあり、本ガイドラインに準拠しているメディアか否かという観点で各社のこれからの動向を注視していく必要があります。
ただ、それ以前の問題として、そもそも各種内容の事件が起きた際の報道の仕方そのものについても、もっと声を上げていく必要があるのではないかと感じでいます。
ここで取り上げるのは芸能人・著名人の方に関する報道内容に限り、大きな事件事故があった際の一般の方への報道二次被害については機会があれば別途触れることとしますが、
長らく病気療養中であった中新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなられた女優さんについて報じる際、遺骨となってご家族のもとへ帰られた姿を自宅前から生中継で各メディアが報じていたことに背筋の凍るような思いをしたことも、今年の4月、たった数ヶ月前の出来事です。
また最近では、亡くなられた女子プロレスラーの方もそうですが、芸能界引退を決意されたタレントさんや、旦那さんのスキャンダル報道が出た際の女優さんのコメントの中にもありましたが、
芸能人の方にまつわるさまざまなニュースが出た際、ご本人または関係者からの公式発表のコメントの中に「事務所や関係者あて、自宅近辺などで取材を行うのは控えてほしい」という旨の文言が含まれることも多くなったように感じています。
それだけ、これまでの過熱報道による「報道二次被害」が、冒頭触れた手引きにあるような”慎重を期すること”であるか否かに関わらず酷かったこと、そしてやっと声を大にして自身や亡くなられた方の尊厳、プライバシーを守るためのコメントを出せるようになった、時代が進んだことを感じてもいます。
もちろん、それでもまだ報道関係者は自粛しようとはしていません。
そしてそのことが、今回の俳優さんの死去の件でも、個人的に一番怖いと思っているところです。
亡くなり方についての内容と合わせて、彼のこれまでのこと、プライバシーについて、根掘り葉掘り踏みにじられていくのではないかと。
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「表現(報道)の自由」と憲法
表現の自由については、日本国憲法第21条に以下のように記載されています。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
「報道の自由」と関係者が口にするとき、多くはこの文言に基づいて、取材活動や報道内容についての権利を主張することが多いのではないかと感じていますが、
とはいえ、いかな「表現の自由」とはいえ、憲法第12条、第13条の制約を受けないものではない、ということを忘れてはならないのではないでしょうか。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法を引き合いに出してしまうと、あるいは故人の方自身について何かいうのは難しくなってくるかもしれません。
ただ、ご遺族の方やご友人の方など、亡くなられた方と特に近しい方の「生命、自由及び幸福追求に対する」権利はどうなるのでしょうか。
また、今回のように冒頭でも触れたWHOによる手引きとも絡んできますか、特にその誘引性から、報道の仕方についてガイドラインが出されるような内容を含んでいるとき、
果たして数字のために何度も何度も、根掘り葉掘り微に入り細に入り報道するメディア側の権利の使い方は、情報の受取手である私たちの「生命、自由及び幸福追求に対する」権利を侵害しないと言い切れるのでしょうか?
基本的人権とは、国民の1人である自分だけのものではありません。そして、憲法上にも、他人の権利を侵害するような権利の使い方(=権利の濫用)をしてはいけませんと記載されています。その上で、社会全体がよくなる(=公共の福祉)ように権利を利用する責任がある、と。
メディア側の「報道の自由」を守り続けていてそれで良いのだろうか?メディア側は権利を濫用しておらず、公共の福祉のためにその権利を利用していると言えるのだろうか?
念のためですが、特にテレビ局と関連が深い放送法第4条も置いておきます。
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
今回の件とは関係なく、新型コロナウィルス関連の報道において、一と三が特に守られていないということをヒシヒシと感じてはいるところですが。
インターネットへの書き込みの規制も大事だが、メディア側への規制も進めてほしい
特に最近亡くなられた女子プロレスラーの方の件に関してはインターネット上での誹謗中傷の書き込みも要因といわれてきましたが、
そもそも論として、彼女が出演していた番組での過剰演出、いわゆる”やらせ”がその引き金を引いたということを忘れてはいけません。
けれど、インターネット上の書き込みへの規制を推し進めようという声は上がる中、彼女が出演されていた番組「テラスハウス」の打ち切りは決定したものの、
放送局であるフジテレビや番組関係者の具体的処分といった決定はなされず、事実上ほぼお咎めなしの状態。
亡くなられた彼女の母親がBPO(放送倫理・番組向上機構)に審議を申し立てる書類を提出したことで、もしかしたら動きがあるかもしれませんが、
逆にいうとBPOへの審議申し立てをするくらいでないとほぼお咎めなしの無罪放免となる現状だ、ということがわかります。
誹謗中傷をした書き込みが許されないもので、適切に罰されるべきだというのは当然にしろ、それを先導する形となったメディア側は権利を守られたままでいいのか?
WHOの手引きを守らずセンセーショナルさを追い続けるメディアをそのままにしておいていいのか?
令和の時代になり、こうした古き悪しき習慣が是正されることを切に願っています。
この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)