札幌地裁での「結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)」の判決について考える

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2021年3月17日、同性同士の法律婚を認めないのは「婚姻の自由」などを保障した憲法に反するとして、慰謝料各100万円の支払いを国に求めた北海道内のカップル3組6人による訴訟の判決が言い渡されました。

この裁判は、全国5地裁(東京・大阪・名古屋・福岡、そして札幌)で争われている同種訴訟で初の判決でもあったため、その動向に注目していた人も多いのではないでしょうか。

結果として札幌地裁は慰謝料の請求については棄却、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」すると定める憲法24条に対しては違憲ではないとしたものの、

「法の下の平等(平等原則)」を定めた憲法14条に対する違憲性を認める判決が言い渡されています。

判決の全文、あるいは全体を通してある程度まとまった内容を見ておきたいという方は、下記のページをご参照いただければと思います。

今回は、この裁判での争点や判決結果などを見ながら、色々と思うところを備忘録的に書き残しておきたいと思います。

なお、私自身は法に関する専門家ではないため、あくまで1人の人間の考えとして、ちょっとした読み物程度に読んでもらえれば幸いです。

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札幌地裁での「結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)」の争点

まず、今回の裁判での争点や、実際に判決が下る前に考えられた判決のポイントなどは、以下の記事にかなり詳しくまとめられているので、ぜひ参考にしたいところです。

https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20210312-00227139/

一部引用すると、今回の争点は大きく分けて以下の2点。

今回の訴訟において、原告の主張であり争点は、大きく二つの段階に分かれている。

一つ目は「同性婚が認められていない現行の民法や戸籍法等の法律(以下、まとめて『現行法』)は『憲法違反』ではないか」ということ。その上で、二つ目として「同性婚を法制化していない国の職務を怠っている状態(=立法不作為)は違法であり、原告の同性カップルは精神的な損害を受けているため、国は慰謝料を支払え(=国家賠償請求)」というものだ。

日本の裁判では、憲法違反を直接的に問うことができない。言わずもがなだが「原告が真に求めるものはお金ではなく、『同性間の婚姻を認めない法律は違憲』という司法判断です」と須田さんは話す。
引用元:同性婚訴訟、17日に札幌地裁で日本初の判決。予想される判決のポイントは

憲法24条に対して違憲かどうか

憲法の各条に対して違憲かどうかについての国側の反論ですが、まず憲法24条は「同性間の婚姻を想定していない」。

その上で、「同性間の婚姻を、異性間の婚姻と同様に保障しなければならないことを命じるものでもない」ということです。

憲法第24条の条文には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」とあり、この中の”両性”がどこまでの範囲を指すか、という部分は解釈の分かれるところではあります。

とはいえ、現在の日本国憲法が制定された終戦後という時代背景を考えると「同性婚は想定していない」とする反論は、まだ理解できる範囲だと思います。

憲法制定当時、海外でも同性婚を法制化している国はありませんでしたし、(当然、憲法制定に深く関わったアメリカも)

そもそも現日本国憲法が制定される前は、『家制度』によって婚姻は両家の『戸主』の同意が必要とされていたということ。そして、この『家制度』からの解放を目的として書かれた条文である、という点では筋も通っているでしょう。

憲法14条に対して違憲かどうか

また、憲法14条について国側は「そもそも憲法24条は同性婚を想定していないのだから、異性間と同性間で”差異”が生じることを憲法は容認しており、憲法14条の平等原則には違反していない」と反論しているとのこと。

さらには「(婚姻の意義や目的は)あくまでも子を産み育てるための共同生活を送る関係に法的保護を与えるもので、異性間と同性間を区別しても不合理ではない」とも述べていたそうです。

憲法24条に関する反論はまだ理解の余地がりますが、確かに憲法14条で定めている平等原則には即していないんじゃないかな、と感じる部分はあります。

以下の引用がまさにその辺りを説明してますね。

これまで「府中青年の家事件裁判」の判決や、自治体でパートナーシップ制度の導入が広がっていること、さらに海外でも多くの国で同性婚の法制化が進んでいることなど「相当前から同性婚を法制化しないことで、同性カップルの権利侵害が続いている状態であることは明らかです」と須田さんは語る。
引用元:同性婚訴訟、17日に札幌地裁で日本初の判決。予想される判決のポイントは

たとえばですが、婚姻関係を結べることによって、異性間であれば共同でマンションや家などを購入/借りて住むことができ、将来配偶者が亡くなっても住み続けられるが、同性カップルの場合は追い出されてしまう。

大病の際などに同性カップルの場合は「家族」と名乗れず、家族になら許される権利などは行使できない、など。

あるいは最近名古屋地裁で下された判決を見ても「同性婚を法制化しないことで、同性カップルの権利侵害が続いている状態である」のは明白なのではないでしょうか。

同性パートナーに犯罪遺族給付認めず 名古屋地裁判決 - 日本経済新聞
名古屋市で2014年に男性が殺害された事件をめぐり、同性パートナーの男性(45)が愛知県に遺族給付金の支給を求めた訴訟の...

国側は立法不作為が違法に当たるか、という第二の争点については「現行の民法や戸籍法の規定が、憲法24条1項や14条1項に違反するものではない(と主張している)以上、立法不作為が国家賠償法上違法となる余地はない」と反論しているようですが、

国の犯罪被害給付制度は、遺族年金の支給対象として法律婚下にある夫婦だけではなく「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」いわゆる異性間の事実婚関係のカップルにも認めているのに、同性カップルにはそれが該当しない、という判決結果が出てしまったわけですからね。

各々の地方自治体に任せず国として、せめて事実婚相当の権利を認める法整備が進めばいいのになぁ、とつい考えてしまいます。

ところで、ここからは完全に余談ですが、異性間と同性間を区別しても不合理ではない、と述べるために

「(婚姻の意義や目的は)あくまでも子を産み育てるための共同生活を送る関係に法的保護を与えるもので」

という言葉を付け加えたことは、時代錯誤で余計な一言にも程がある、とは思います。

穿った見方をすれば、異性・同姓の区別のために子どもの話を持ち出しているようにも見えてしまうし、

たとえ男女間でも子どもに恵まれるか否かは本人たちが選べるものではないし、そもそも子どもを産み育てることを選択するか否かもその夫婦ごとの自由であるべきと思うので。

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札幌地裁での「結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)」の判決結果を受けて

改めて札幌地裁で下った判決を見ると、

「慰謝料請求については棄却。婚姻について記した憲法24条に対する違憲性は認められないものの、平等原則を規定する憲法14条1項に対しては違憲と認められる。しかし、同性間の婚姻を認めていない法律の規定の改廃を怠った国(国会)の責任は認められない」

ということになります。また、14条に対して違憲性が認められる理由として、以下のように語られたようです。

 婚姻とは、身分関係と結びついた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であるとした上で、同性愛者のカップルは、婚姻によって生じる法的効果を享受することはできないことから、異性愛者と同性愛者との間には、区別取扱いがある。

(中略)

 そして、婚姻によって生じる法的効果を享受する利益は、憲法24条からしても保障される、異性愛者にとって重要な法的利益であるところ、異性愛者と同性愛者の差異は性的指向が異なることのみであり、そのような法的利益は、同性愛者であっても、異性愛者であっても、等しく享有しうるものと解するのが相当である。

(中略)

 本件規定は、子の有無、子をつくる意思・能力の有無にかかわらず、夫婦の共同生活自体を保護することが重要な目的であり、同性愛者であっても、婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができるから、同性愛者に対して、婚姻によって生じる法的効果の一切を享受しえないものとする理由はない。

(中略)

 札幌地裁判決は、少数者である同性愛者の保護に関する立法者の裁量権行使について、次のとおり述べた。すなわち、「圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ、同性愛者のカップルは、重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは、同性愛者のカップルを保護することによって我が国の伝統的な家族観に多少なりとも変容をもたらすであろうことを考慮しても、異性愛者と比して、自らの意思で同性愛を選択したのではない同性愛者の保護にあまりにも欠けるといわざるを得ない」。
引用元:CALL4 | 結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)

私自身は異性との法律婚をこれからまさに選ぼうとしている身です。

だからといって、仮に私の家族・親族、友人などの親しい人が同性婚を選びたいと願っても、何ら問題はないですし、むしろ法の下の平等という原則に則り、選べる世の中になって欲しいと、そう願っています。

もっというと、そんな世の中になってくれるかもしれないと希望を持てない中で子どもを生むということに、躊躇も覚える。

自分の子が、あるいは子どもの大切な人が、不利益を被ったり悲しんだりする側になるかもしれないと考えると気が重いですから。

それから、同列のように扱うのは違うかな、とも思いますが、婚姻の際に姓を変えるか否かを選べる、そんな世の中にもなって欲しいとも思っています。

子どもの有無も姓をどうするかも同性異性も分け隔てなく、結婚したかったら結婚できる、したくなかったらしなくていい。

今回の判決がそんな世の中への第一歩となりますように。

あと、「原告の個別事情は、本件を判断する上で夾雑物(きょうさつぶつ=余計なもの)である」と発言した、同性婚訴訟にあたっている東京地裁の田中寛明裁判長に対しても、今回の判決が”いい影響”をもたらしてくれるといいですね。

この記事を書いた人:藤代あかり(@akari_fujishiro)